明治時代、士族は年金暮らし?

明治時代、士族は年金暮らし?

 江戸時代の士農工商にかわり、明治時代には華族・士族・平民という分類ができました。大名や公家が華族に、武士が士族に、それ以外の農民や商人らが平民とされたのです。そして平民にも苗字をもつことが許されました。江戸時代の農民や町人には下の名前しかなかったのです。昔から日本で苗字を持っているのは武士や貴族などに限られていたのです。

 

 

 江戸時代の武士のほとんどは主君から俸禄とよばれる米を給料として支給されて生活していました。その額は家ごとに定められていて代々変わりませんでした。これが明治時代に入ると秩禄とよばれるようになり、廃藩置県後は政府が士族と華族にこれを支給しつづけました。ポイントは何の官職についていなくても支給されるということです。現代でいうと年金に近いでしょうか。

 

 

 当然、秩禄の支出は国家財政を圧迫していきました。歳出に占める割合はなんと3分の1にも及びます。異常な数字です。しかし突然支給をやめるということができなかったのです。突然やめてしまうと士族が反乱を起こす可能性があったのです。そこで1873年に政府は秩禄の支給をやめるかわりに一時金として多めの金を与えるといって希望者を募りました。実際には士族の3分の1ほどがこれに応じ、残りの3分の2は秩禄をもらいつづけました。

 

 

 すると1876年に金禄公債証書をあたえるかわりに秩禄の支給を打ち切ると発表しました。これが秩禄処分です。
 金禄公債は秩禄の5年〜14年分の金額で、年に一度の抽選に当たった人から現金が支給されていくものです。抽選は6年後からはじまり30年続きます。外れたひとには利子が支給されますが、とても生活できるレベルではありません。このやりかたに士族の不満は爆発し反乱が相次いで起こっていくことになります。

 

 

 では実際に士族たちはどう生活していたのでしょうか。早期に秩禄を絶って一時金を手にし、商売をはじめた士族も多く居ました。ただし、商売の仕方を知らないものがほとんどだったため、単純に商品を並べて自分は大きな態度で坐ったまま客を迎える。「買ってもらう」というよりも「売ってやる」という姿勢で商売をした人が多かったようです。

 

 

当たり前ですが、そんな商売の仕方でうまくいくはずがなく、すぐに商売が成り立たなくなり店を潰していきました。これは「武士の商法」といってバカにされました。そのため生活するのに困って農民になっていったり、反乱に加わるようになった士族もでてきたのです。

 

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