文明開化の波

 街や人々の様子も明治に移るころに大きく変わってきます。銀座通りには煉瓦造りの洋館が建ち並び人力車や鉄道馬車が走るようになり、夜になるとガス灯がともされました。衣服では洋服が役人や軍人のあいだから広まり始め、食では牛なべ(現代のすき焼きの原形)が流行するなど、肉を食べる習慣が定着していきました。 

 

そのほかにも牛乳を飲むようになってきたり、あんぱんを製造して販売したりと食生活にも大きな変化をもたらしたのです。こうした欧米文化を取り入れることを文明開化といい、その象徴が「ザンギリ頭」でした。それまでのちょんまげをやめたのです。

 

 

 もっともこうした西洋文化は大都市に限られ、農村部での変化はゆっくりとしたものでした。たとえば暦は1872年から73年に変わるタイミングで太陽暦が切り替えられたのですが、農村部では従来どおりの旧暦が使われたのです。

 

 

 人々の考え方にも変化がおこりました。それを助けたのは新聞や雑誌です。江戸初期まで使われていた活字は衰退してしまっていましたが、幕末に鉛活字が開発されました。それを利用したのは初の日刊紙「横浜毎日新聞」です。1870年でした。さまざまな新聞や雑誌・書籍が発行され、言論活動がさかんになりました。

 

 

 人々に新しい思想を広めた団体に明六社があります。明治六年に結成されたから明六社と名づけられた団体は明六雑誌を発行し、啓蒙思想とよばれる理知的、合理的な考えを説いていきました。

 

 

 そのメンバーのひとりである福沢諭吉は江戸幕府の使節団に従い、幕末に3回も欧米に行ったことがある人物です。豊前中津藩(現在の大分県)の武士の家に生まれ、大坂の適塾で学び、オランダ語、ついで英語を習得しました。このため「西洋事情」を著したのは明治に入る前のことでした。他にも「学問のすすめ」や慶應義塾を創設したことでも有名です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。(中略)賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによって出で来るものなり」というのは聞いたことがある人も多いと思います。

 

 

 同じく明六社メンバーである中村正直はスマイルズの「西国立志編」やミルの「自由之理」を記述しました。しかし、福沢を除く明六社のメンバーのほとんどが官僚であったため、やがて政府が自由民権運動を弾圧するようになると活動は停止していきました。「独立自尊」をとなえる福沢が政府の誘いに乗らずに官職に就かなかったことは有名です。

 

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