国民皆学、交通・通信の向上

 

人材育成のため、教育制度の改革にも取り組みました。もともと、江戸時代後期の日本人の識字率はかなり高いものでした。全国には一万を超える数の寺子屋があり、十代前半の子どもおよそ3割が通っていたほどです。そこでは農民の子どもであっても、読み・書き・そろばんを習っていました。

 

 

こうした下地のうえに明治政府は教育制度をととのえてきました。1871年に文部省をもうけ、翌年には学制を発布して「必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」と国民皆学をうたいました。しかし、授業料などの住民負担が重かったため、なかなか「皆学」は実現できません。反対一揆までおこる始末でした。

 

 

このため教育制度は何度もあらためられました。紆余曲折の末、1886年に文部大臣の森有礼によって学校令が出されます。これで義務教育を4年間とする教育制度が確立し、明治末期には就学率が100%近くに達していきます。

 

 

政府は欧米の技術を導入して近代的な産業を育成する殖産興業政策にも取り組みました。そのための官庁として、まず工部省、ついで内務省を設立し、お雇い外国人を招いて様々な分野で指導をうけていきます。そのひとりであるフランス人技士ブリューナは富岡製糸場という官営模範工場で、生糸製造の指導にあたりました。のちに日本の製糸場は世界1位となりますが、その出発点となったといえるでしょう。また、この建物は近年に世界文化遺産として認定されたということでも非常に有名になっています。時事問題としても関連することですので、重要なものとして覚えておきましょう。

 

 

通信設備としては、まず電信が東京・横浜間でスタートし、やがて電信線は北海道から長崎、さらには海底電線で上海とも接続しました。これで世界ともつながったわけです。そして電話も1877年に輸入されて徐々に広がっていきます。

 

 

郵便制度は飛脚に変わるものとして、前島密の尽力で1871年に始まりました。前島密は切手収集家の間では一円切手の図柄の人物として有名です。

 

 

鉄道は1872年に新橋・横浜間に開通し、蒸気機関車が53分で走るようになりました。これは現在の電車の約2倍の時間ですが、それでも大きな進歩といえるでしょう。

 

 

この鉄道開通に尽力したのは大隈重信と伊藤博文でした。この二人はのちにライバルとして張り合っていくことになります。その後、大日本帝国憲法が発布される1889年には東京・神戸間を結ぶ東海道線が全通することになります。

 

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