納得できなかったポーツマス条約

日本海海戦の勝利後、日本はアメリカ大統領セオドア=ルーズベルトに講和の斡旋をお願いしました。講和会議はアメリカのポーツマスで行われ、日本全権小村寿太郎とロシア全権ウィッテが交渉にあたりました。

 

 日本はこのときロシアから賠償金を得ることはできませんでした。賠償金を要求するとウィッテが「それなら戦争は続行だ」と断言したからです。日本はこれ以上戦争を続ける余力がありませんでした。そのため賠償金をあきらめて講和を結んだのです。こうして結ばれたポーツマス条約のおもな内容は次の4つです。

 

@ 韓国に対する日本の指導権の承認
A 旅順・大連の租借権と長春以南の東清鉄道の権利の譲渡
B 北緯50度以南の樺太の譲渡
C 沿海州・カムチャッカ半島沿岸の漁業権の譲渡

 

 

この賠償金が取れないという内容に日本国民は激怒しました。政府は日本の苦戦を隠し
勝利しているという情報しか国民に伝えていなかったため、何も知らない国民は賠償金が取れないなら戦争続行だ、と主張したのです。日比谷公園で開かれた講和反対集会は暴動に発展し官邸や交番が焼き打ちされました。この日比谷焼打ち事件に対し、政府は戒厳令を発し、軍隊を出動させて鎮圧しました。

 

 

 戦後には満州への進出がさかんになりました。まず遼東半島の先端の関東州に関東都督府をおいて旅順・大連を統治しました。長春以南の鉄道の経営のためには南満州鉄道株式会社を設立しました。そして韓国に対しては三次にわたる日韓協約を結んで植民地化を進めました。

 

 

@ 韓国政府内に日本が推薦する財政・外交顧問をおかせる
A 韓国の外交権をうばって保護国化し、統監府を設置する
B 韓国の内政権をうばって軍隊を解散させる
という3段階です。

 

 

 この間に韓国が国際会議に訴えるというハーグ密使事件がおきました。しかし、日本は三国干渉の教訓を生かし、すでにアメリカ・イギリスから韓国支配については承認を取り付けていたため韓国に味方する国はありませんでした。

 

 

 韓国併合の過程で大きな事件が起こりました。1909年に伊藤博文が暗殺されたのです。伊藤は1905年に初代韓国統監になった人物ですが、けっして併合を急ごうとはせず韓国に対して融和政策をとっていました。これに対し山県有朋はいつものごとく反対し、すぐに併合するべきだと主張していました。そんなときに韓国人の安重根が伊藤を暗殺したのです。これがきっかけとなって1910年には韓国併合が行われ、韓国を日本の領土の一部としたのです。以後は統監府にかわって朝鮮総督府が朝鮮支配をおこないました

 

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