反対者も多かった日露戦争

 日露戦争のとき、日本国内では主戦論と非戦論がぶつかりあっていました。東大七博士とよばれる学者たちが主要論をとなえ、国民のあいだにも主戦論が高まっていくいっぽうで非戦論をとなえる人たちもいたのです。

 

 

 社会主義者の幸徳秋水や堺利彦は平民社をおこして平和新聞を発行し戦争に反対しました。幸徳は開戦後も国境を越えた平民の連帯を求めたのです。当時としては非常に進んだ考え方でした。

 

 

 内村鑑三はキリスト教人道主義の立場から「戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない」と主張しました。内村は日清戦争を義戦として讃えていましたから、それを愚かだったと懺悔したうえでの非戦論です。過去の自分を否定しての発言であることに注意です。

 

 

 そして有名な反戦詩があります。与謝野晶子が戦地にある弟を思って書いた「君しにたまふことなかれ」です。これは反響を呼んで論争となりました。

 

 

 そうした日露戦争ですが、短期決戦をのぞむ日本に対してロシアは日本軍との直接対決を避け、ヨーロッパにあったバルチック艦隊を遠征させてくることにしました。日本は大艦隊が到着する前に旅順を落とす必要にせまられ、乃木希典らの陸軍が旅順を包囲したものの頑強な要塞でなかなか落とすことができません。そこへ無理な突撃を繰り返したため約6万人の死傷者がでました。これは作戦に参加した兵の半数近くにおよびます。

 

 

 この乃木大将はのちに明治天皇が亡くなった後を追って自殺します。夏目漱石の「こころ」にその話が出てくるので有名です。激戦の上に旅順を落とした日本軍はつづく奉天会戦でも勝利しました。そしてむかえた日本海海戦では東郷平八郎の率いる日本の連合艦隊がバルチック艦隊を出し抜き、各艦に集中砲火をあびせる丁字戦法で大勝利をおさめました。

 

 

 この日露戦争には約17億円もの戦費がかかりました。これは日清戦争の9倍近い金額です。これを増税や国債でまかなったのですが、大変だったのはイギリスやアメリカでの国債発行です。

 

 

 短期決戦のつもりで臨んだ戦争が長引いてしまったため、戦争中まさに綱渡り方式で資金を調達していたのです。日本が負けると思われると出資してもらえないため、担当者にはたぐい希な交渉術が必要でした。この資金難を見事に乗り切ったのは日銀副総裁であった高橋是清でした。のちに首相や大蔵大臣を務めた大物です。

 

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