ロシアとの対立と清の列強支配

 清は欧米列強による中国分割が進んでいました。日本に敗れた清の弱みにつけこんで各国が勢力範囲を求め、特定の地域を租借していったのです。たとえばドイツは山東半島の一部を借り、山東省で鉄道の敷設や鉱山開発などに乗り出しました。ここで注目しなければいけないのはロシアが遼東半島の旅順・大連を租借していることです。遼東半島は三国干渉で日本が清に返還した場所です。これではロシアが日本から横取りしたような結果に見えます。当然、国民のあいだではロシアに対する敵対心が高まりました。第二次山県内閣は、このタイミングで地租増徴にふみきります。2.5%から3.5%への増徴です。以前は増税に反対していた憲政党もこのときは賛成にまわりました。

 

 

 このときの山県内閣は大きな政策をいくつか行っています。社会運動を弾圧する治安警察法や陸・海軍大臣を現役の大将と中将にかぎる軍部大臣現役武官制の制定がそれです。外交面では後に述べる北清事変に対処しました。

 

 

 列強の侵略姿勢に対して反発した中国農民の宗教結社に義和団があります。これは「扶清滅洋」をとなえ、外国に対して憲法と神通力で立ち向かおうという現代では考えられない組織です。幕末に外国を侍の魂で追い払えと言っていた日本人に近いでしょうか。

 

 

 この義和団が各地で外国人を襲い民衆とともに北京の列国公使館を包囲しました。するとこの勢いにおされた清国政府が列国に宣戦布告したのです。日本一国にも負けた国の行動としては信じられないですね。日本を含む列国はすぐに軍隊を派遣し、これを鎮圧しました。これを北清事変といいます。このとき一番多くの軍隊をだしたのは日本でした。

 

 

 敗れた清は列国と北京議定書を結び、賠償金の支払いと列国軍隊の北京駐留を認めます。これでは前よりも支配がひどくなっています。

 

 

 幕末のころ尊皇攘夷派はハリスの通訳を暗殺したりイギリス公使館を焼き討ちしたりしました。さらに薩摩藩や長州藩は外国と一戦交えたほどです。でも幕府は外国との直接衝突を避けたのです。たとえば薩英戦争の後には幕府はイギリスに賠償金を支払ったりしています。もし幕府が本格的に交戦していたら、このときの清のようにされていたかもしれません。外国との直接衝突を避ける最大の決断をしたのは、さかのぼると井伊直弼に至ります。安政の大獄などのために悪いイメージが強い人物ではありますが、天皇の許可をとらずに通商条約の調印を決断したことなどは政治家として評価されるべきところでしょう。

 

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