日清戦争後の政治形態

 日清戦争にかかった費用は約2億円でした。これは当時の国家予算の2倍強で、戦後それよりも大きな賠償金を得たことになります。大半は軍備拡張費にあてられました。戦争で得たお金なので次の戦争に使うということでしょうか。

 

 

 さらに1896年には日清通商航海条約を締結し、領事裁判権を認めさせ関税自主権をうばいました。これは欧米並みの特権を得たということです。戦争といえば領土拡大が注目されますが、近代の戦争では市場獲得の要素が大きいのです。

 

 

 しかし朝鮮の支配に関しては難航します。朝鮮政権は日本に支配されるのを嫌ってロシアを頼るようになります。そのため日本は清よりもはるかに強国であるロシアと朝鮮を取り合う形勢となっていきます。

 

 

 この日清戦争を乗り切った首相は伊藤博文でした。戦後、伊藤は新しい政治形態をつくりました。それは藩閥と政党が提携する内閣です。伊藤は自由党の板垣退助を内務大臣に迎えて自由党を味方につけ議会運営をスムーズにおこなえるようにしました。

 

 

 伊藤の後を継いだ第二次松方正義内閣も政党との提携をはかりました。こちらは進歩党の大隈重信を外務大臣に迎えての内閣です。進歩党は立憲改進党が他の小政党と合同して結成した政党です。そしてこの内閣は松方と大隈が手を結んだことから松隈内閣とよばれました。こうして日清戦争を機に政党と藩閥政府の提携が進み、今まで政府の政策に反対してばかりだった民党が政策決定にかかわるようになっていきました。民党を支持する国民のあいだにも国家意識が高まっていったことがわかります。

 

 

 第三次伊藤内閣が議会に地租増徴案を提出すると自由党と進歩党はいっしょになってこれを否決し、さらに合同して憲政党を結成しました。これは衆議院の過半数をもった初めての政党です。伊藤は首相を辞め、天皇に次の首相として憲政党の大隈重信を推薦しました。薩長出身でない政党所属の人物を推すのは意外なことですが、伊藤は反対ばかりしている大隈に一度首相としてやってみろという考えだったのかもしれません。

 

 

 こうして憲政党を基盤とする第一次大隈重信内閣が生まれました。日本で最初の政党内閣です。今までの藩閥政府は大臣も薩長出身者が多かったのですが、この内閣の大臣は陸・海軍大臣以外はすべて憲政党所属の人物でした。板垣退助は内務大臣をつとめており、大隈と板垣の連携によって生まれた内閣であることから隈板内閣とよばれました。

 

 

 しかし、この政党内閣は何もできないまま終わりました。それは大隈首相がおこなった人事をめぐって旧自由党派と旧進歩党派が分裂してしまったからです。旧自由党は憲政党を旧進歩党は憲政本党を名乗り分離しました。

 

関連ページ

戊辰戦争
五箇条のご誓文、五傍の掲示、版籍奉還
廃藩置県から岩倉遣外使節団
国民皆兵、地租改正
国民皆学、交通・通信の向上
文明開化の波
明治時代、士族は年金暮らし?
明治時代の琉球と朝鮮と日本の関係
明治六年の政変から台湾出兵、江華島事件
樺太・千島交換条約から自由民権運動へ
士族の不満と反乱
大久保の最期と次世代への道
明治時代の士族の不満と反乱
大久保利通が亡くなった後の政治
自由民権運動の広がりと新時代
政党の結成と私擬憲法
民権派の再結集と初代内閣総理大臣
大日本帝国憲法の制定
明治憲法の内容 
黒田清隆の超然主義
挫折を繰り返す明治時代の条約改正と大津事件
朝鮮国内の混乱から日清戦争へ
ロシアとの対立と清の列強支配
伊藤博文と山県有朋の対立
日英同盟と日露協商。優先は?
反対者も多かった日露戦争
納得できなかったポーツマス条約
松方デフレから産業革命へ
渋沢栄一の偉業
製糸業の発展と製鉄業
金本位制と労働運動の広がり
足尾銅山鉱毒事件と大逆事件
大正の始まりと軍部拡張
シーメンス事件から第一次世界大戦
日本軍の動きと大戦景気
ロシア革命とシベリア出兵
西園寺公望とパリ講和会議
領土問題とワシントン会議
日本の帝国主義と大正デモクラシー
天皇と天皇機関説
農民運動と原敬
原敬の最後と関東大震災