朝鮮国内の混乱から日清戦争へ

 日朝修好条規を結んで開国した朝鮮では新清派と親日派の対立から二度にわたるクーデターがおこりました。1882年の壬午軍乱と1884年の甲申事変です。その結果、王妃一族が政権を掌握し、新清政策をとるようになりました。

 

 

 1894年に朝鮮南部で甲午農民戦争がおこりました。東学党という宗教団体を中心に朝鮮の農民たちが政権に対して反乱をおこしました。

 

 

 政権は清に助けを求めると清は朝鮮に出兵しました。その際、日本も同様に出兵したため朝鮮領内で日清両軍がにらみ合う形になりました。日本は清に対し、朝鮮の政治に介入させろと要求し、それが拒否されて開戦となりました。

 

 

 ちなみに治外法権の撤廃を認める日英通商航海条約の調印は開戦のわずか9日前のことでした。清に大きな権益を持つイギリスからは開戦前になんとか好意的な姿勢を引き出しておきたかったのです。ギリギリのところで調印にこぎつけた陸奥宗光外相は非常に喜び清に強い態度でのぞみました。
 戦争は日本艦隊による清国艦隊への奇襲ではじまりました。日本の艦隊は小型ながらも高速で、清の北洋艦隊を次々と撃破し、遼東半島や山東半島を占領しました。清の軍隊は近代化が遅れていたため、このときは日本の軍事力が清を追い抜いていたのです。

 

 

 日清戦争が日本の勝利で終わると1895年、山口県の下関で講和条約が結ばれました。この下関条約ではおもに次の4つが認められました。

 

@ 朝鮮の完全独立の承認
A 遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
B 賠償金2億両(日本円で約3.1億円)の支払い
C 沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港  

 

ところが、この内容にロシアがケチをつけてきました。一応名目は「遼東半島を日本が支配すると清の首都である北京が危うくなるうえに朝鮮の独立が有名無実になる」というものでした。これはフランス・ドイツも誘っての三国干渉であったため、日本は抵抗できませんでした。やむなく遼東半島を返還し、かわりに5000万円ほどを受け取りました。

 

 

 国民のあいだでは「臥薪嘗胆」という言葉とともにロシアへの敵対心が高まりました。臥薪嘗胆というのは薪の上で寝たり、にがい肝を嘗めたりして復讐心を忘れなかったという中国の故事です。
また台湾はこれ以後日本の領土となり、台湾総督府がおかれて太平洋戦争が終わるまでの50年間、日本が支配することになります。現在、台湾で日本語が通じやすいのはそのためです。ちなみに初代台湾総督となったのは蛮勇演説で有名な樺山資紀でした。

 

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