明治憲法の内容 

 明治憲法では首相は議会だけでなく内閣を操縦するのにも苦労しました。国務大臣はそれぞれの責任のもとに天皇を輔弼(助ける)とされました。首相の下に位置づけられたのではなく、ともに横並びで天皇に直結していたのです。その任免権も首相ではなく天皇が持っていました。これでは大臣が首相に逆らっても首相は大臣を辞めさせることができません。大臣同士がもめたら収拾がつかなくなって、内閣総辞職するしか道がなくなります。実際に閣内不一致で総辞職した内閣は非常に多いのです。

 

 

 次に天皇について見ていきます。天皇は国政についての統治権をもっていますが第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定められていて責任は負わないことになっています。

 

 

 これは天皇の存在に瑕がつかないようにはかったおのですが、この規定は逆に天皇を自制的にふるまわせました。明治天皇も昭和天皇も内閣が決めたことにを基本的にはそのまま認めたのです。内閣の決定をひっくり返すようなことをすれば、その責任が天皇にないと言い張るのが難しくなるからです。

 

 

 天皇には宣戦・講和や条約の締結、緊急勅令の制定などの広範な天皇大権があたえられました。しかし、条約や緊急勅令などの重要な国務については天皇の諮問機関である枢密院が審査するため内閣はもとより天皇個人の意志だけで決められるわけでもなかったのです。

 

 

 もう一つの天皇の権利は軍を統帥する大元帥としての権利です。

 

 

 軍を指揮する統帥権は内閣から独立しており、この面で天皇をたすけるのは陸・海軍大臣ではありませんでした。作戦の指揮にあたるのは陸軍なら参謀本部、海軍なら軍令部だったからです。陸軍省や海軍省は軍の行政事務、たとえば軍の規模やその予算だけをつかさどる官庁なのです。

 

 

 そして興味深いのは憲法の条文が微妙に異なっているのです。国政に関しては「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と国務大臣に責任があると明記されているのに対し、統帥権については「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあるだけなのです。これは天皇がみずからの責任で軍を統率することを意味すします。そのさいに補佐するのが陸軍参謀本部の参謀総長と海軍軍令部の軍令部長というわけです。こうしてみると明治憲法体制がひとりの強いリーダーのもとに動くピラミッド構造ではなかったということがわかります。

 

 

 また、この後は伊藤博文や山県有朋のような広く各界にわたって指導力を持つ政治家がいなくなってくると日本の政治のかじとりが難しくなっていきます。

 

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