原敬の最後と関東大震災

 原敬の特徴としては、心の中で藩閥政治家に反感をもっていても表立ってぶつかることをしなかったということがあります。山県有朋などにもできるかぎり接近して、巧みなかけひきや策謀で、山県系の官僚や貴族院勢力を切り崩していきました。

 

 

 

 しかし、普通選挙法に反対したことからもわかるとおり、本当に民衆を味方につけようとはしませんでした。そうして政友会が関係する汚職事件が相次ぐなか、1921年に国鉄職員に刺されて死んだのです。

 

 

 元老・西園寺公望は、こうしたテロ事件に対しては「毅然としてあたるべきだ」と考えていました。テロでは政治を変えられないと示すことが今後のテロの抑制につながるからです。このため後継首相には、新しく政友会総裁となった高橋是清を選びました。

 

 

 その高橋内閣が、わずか7ヶ月で閣内不統一におちいって退陣すると、ワシントン会議の全権であった加藤友三郎が組閣しました。加藤内閣には目立った施政はないものの、旧式の軍艦を廃棄するなど海軍の軍縮をおこないました。

 

 

 

 しかし、加藤首相は在任中に病死し、その八日後に関東大震災が発生しました。ちょうど後継首相に山本権兵衛が選ばれて組閣にあたっていたときのことで山本は急いで組閣し、大災害に対処しました。

 

 

 1923年9月1日の正午前、ちょうど昼食の準備をしている時間帯にマグニチュード7.9の大地震が関東一円を襲いました。これが関東大震災です。

 

 

 日本の木造家屋は耐震性には優れていましたが、火災には弱いのが欠点です。日本の密集する木造の住宅はあっという間に大火災となり、火災旋風も発生して被害が巨大化しました。

 

 

東京・横浜の市街地は大半が焼失し、死者・行方不明者は14万人を超え、57万戸もの家屋が全壊・流失・全焼しました。この数字は2011年の東日本大震災をはるかに超えるものです。そう考えると被害の大きさがイメージしやすいと思います。

 

 

 

 この混乱のなかで「朝鮮人が暴動をおこした、放火した、井戸に毒物を入れた」というようなデマが広がりました。政府は戒厳令を出して軍隊を動員し、住民も自警団をつくって「朝鮮人狩り」をおこない、数千人もの朝鮮人を殺害しました。

 

 

疑心暗鬼にかられた日本人の心情はかなり屈折していたようです。「国を奪われた朝鮮人は日本を恨んでいる」と考えていることで、朝鮮人を疑ったのです。これは日本が無理矢理に行った韓国併合を、どこか後ろめたく思っている日本人がいたということの証明でもあるかもしれません。

 

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