農民運動と原敬

農民運動では、最初の小作人組合である日本農民組合が、また部落開放運動では部落差別をなくすことを訴える全国水平社が結成されました。これらの運動の多くは米騒動をきっかけに盛り上がったという点で共通しています。

 

 

 平民宰相と呼ばれた原敬ですが、納税額にかかわらず誰でも投票できる普通選挙には反対でした。普通選挙によって自分の政党の議席が減ることをおそれたのでしょう。

 

 

 

 この段階の選挙資格は直接国税10円以上の男子納税者でした。これは国民のうちのたった2%にすぎない富裕層です。そんなお金持ちの票を得て第一党となった立憲政友会は、当然お金持ちが喜ぶ政策をとる政党です。

 

 

ここでもし普通選挙をおこなったら選挙権をもつ人はいっきに10倍に増えます。あらたに有権者となる多くの貧乏人たちは政友会に投票してくれるでしょうか。むしろ社会主義をとなえる政党に投票するのではないでしょうか。そう懸念した原敬は選挙資格を直接国税3円以上の男子納税者とあらためるだけにとどめました。有権者数は増えましたが、国民の2%だったのが5%になっただけです。

 

 

 

「あんまり変わってない」というのが実態のようです。さらに原はしたたかに動きます。この選挙法改正の際に、選挙区制度を大選挙区制から小選挙区制にあらためたのです。今の日本が小選挙区制をとっているので、これがどういう効果をもつかわかりやすいかもしれません。

 

 

 小選挙区制とは、一つの選挙区から議員が一人しか当選しない制度です。つまりどの選挙区でも一番人気の政党ばかりが当選して、議席を大量に獲得しやすい制度なのです。そしてこの時期の一番人気政党は原が率いる立憲政友会です。

 

 

 野党がこの選挙法改正に反発すると原は「この際、議会を解散して政界の一新を計るほかはないと思う」と衆議院を解散しました。その後におこなわれた総選挙では案の定、立憲政友会が圧勝しました。野党の落ち込みようがよくわかります。この選挙制度のもとで逆転することはできるのでしょうか。実際、野党第一党の憲政会は「苦節十年」を強いられることになります。

 

 

 

 原敬は盛岡藩の家老職の家の生まれで藩閥出身者ではありません。それどころか盛岡藩は奥羽越列藩同盟に属していたので、戊辰戦争における「朝敵」の出身者でした。

 

 苦学して外務省に入り、同じく非藩閥の陸奥宗光に認められてやがて伊藤博文が率いる立憲政友会に入りました。この原がこの時期、政治の中心に存在していきます。

 

 

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