天皇と天皇機関説

憲法学者の美濃部達吉は天皇機関説という憲法学説をとなえました。実は明治憲法を読みぬくと、天皇に主権があるとは言いがたい部分があるのです。

 

 

 まず、第四条に「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあります。天皇に統治権があるわけです。ただしここで注目すべきは、憲法の条規に従わなければならないという条件がついていることです。これは天皇の統治権が絶対的なものではないことを意味しています。

 

 

 それをふまえて第三十七条を見てみます。「凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」とあって、法律をつくるには議会で賛成多数を得なければならないと規定しています。しかも念押しのように「すべて」とまで書かれています。伊藤博文の深さがあらわれています。

 

 

 

 こう見てくると明治憲法は天皇主権の憲法とはいえないということになります。かといって国民主権の憲法とも言えません。そこで美濃部がとった解釈は「主権は法人としての国家にある」というものでした。つまり国家を人間に見立てたのです。

 

 

 現代の世の中には学校法人や財団法人などのように集団や組織であっても法的に人格が与えられているものがあります。それらは人間と見立てられているため、社会的な権利もあれば義務もあります。それと同じように国家を法人としてとらえていれば主権をもつのは法人としての国家であって天皇が主権をもつわけではないと解釈できます。

 

 

それでは天皇は何かというと国家が決定したことを代表しておこなう最高機関だというのです。天皇個人の意志では政策を決定できないわけです。この解釈をもってすれば帝国議会が政策決定の主導権をもつことを正当化できます。天皇機関説は大正期には憲法学会の主流の理論となり政党政治のよりどころとなりました。

 

 

 

 大正デモクラシーのもと大正期にはさまざまな社会運動が盛り上がりました。労働運動では1912年に鈴木文治が中心となって友愛会を組織しました。その指導のもと1920年から国際的な労働者の祭典であるメーデーが毎年開催されるようになり、翌年には日本労働同盟と改称しました。

 

 

 婦人運動では1911年に平塚らいてうらが女性の文学団体として青鞜社を結成し、雑誌「青鞜」を創刊しました。この平塚は1920年には市川房枝らとともに新婦人協会を設立し、女性が政治活動に参加することを認めるよう運動しました。婦人参政権までは得られませんでしたが、要求の一部を実現させました。

 

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