領土問題とワシントン会議

 アメリカは民族自決をとなえてはいましたが、もちろん本気ではありません。

 

 

自分たちもフィリピンを占領しようとしていたくらいですので。アメリカの本当の目的は他の国が領土を拡大しようとするのを牽制したいことです。結局、ポーランドやチェコスロバキアなどソ連に隣接する東欧諸国がこのとき独立できました。

 

 

ドイツは天文学的な賠償金を課されてイギリス・フランスに押し込められました。こうしてできた新しい国際秩序をベルサイユ体制といいます。

 

 

 

 第一次世界大戦が終わると日本はアメリカ・イギリスに次ぐ世界3位の国に躍り出ました。日本語圏はかつてない広さとなり、軍事力でもフランスやイタリアを抜き去ったのです。

 

 

 しかし日本の頭をおさえつける国際会議が開かれました。1921年から翌年にかけてのワシントン会議です。大戦後、軍艦建造を競い合った各国は財政的に苦しくなってきました。そこでアメリカは軍縮を呼びかけ、会議を招集したのです。当時の原敬内閣は国際的孤立を避けるべく海軍大臣の加藤友三郎たちを派遣しました。

 

 

 会議ではまずアメリカ・イギリス・フランス・日本による四カ国条約が結ばれました。これは太平洋にもっているそれぞれの権益を現状維持のまま互いに認め合うものです。この条約の成立にともない、二カ国間で権益を保護し合う日英同盟は廃棄することになりました。これまでイギリスと良好な関係を築いてきた日本にとってはダメージでした。

 

 

 

 この四カ国にイタリアをあわせた五カ国で結ばれたのがワシントン海軍軍縮条約です。主力艦とよばれる大きな軍艦の建造を10年間停止するとともに主力艦の保有量を米英が5、日本3、仏伊が1.67という比率に定めました。

 

 

 英米に対して6割という比率は日本にとっては厳しい数字です。この割合にされてしまうと英米を相手に戦争をしても勝ち目がありません。当然、海軍のなかには強く反発する人たちもいました。

 

 

しかし、海軍の長老である加藤友三郎はこの比率を受け入れました。なぜなら軍艦比率で損をしても四カ国条約で得をする部分があると見ていたからです。四カ国条約で定めた太平洋の現状維持はこの地域の基地を現状のままとどめることも意味します。

 

 

基地作り競争になれば日本は英米に引き離されかねませんが、それを防ぐことができるのです。そして中国に権益をもつ国々によって九カ国条約が結ばれました。中国の主権尊重・領土保全・機会均等などを定めた条約で、日本は山東省の権益などを返還することになりました。

 

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