ロシア革命とシベリア出兵

第一次世界大戦は1914年から1918年までつづきますが、その間の1917年にロシア革命がおこりました。

 

 

長引く戦争で食料不足に苦しむ農民や労働者たちが皇帝を退位させて政権をにぎり、世界初の社会主義国家を誕生させたのです。ソヴィエト社会主義共和国連邦。略してソ連と呼ばれる国です。

 

 

 ソ連はドイツと単独講和を結んで戦争を止め、各国にも社会主義革命を呼びかけました。

 

 

 

これを警戒したアメリカやイギリスは1918年革命を邪魔するためにシベリア出兵をおこないました。この出兵は効果なく終わりますが、同様に出兵した日本は各国が撤兵したあとも駐留し続け諸外国から領土的野心を疑われました。

 

 

 日本がシベリアから撤兵したのは1922年、北樺太から撤兵したのは1925年です。当時の日本の拡大志向がよくわかります。

 

 

 シベリア出兵はいっぽうで日本国内に大きな変化をもたらしました。大戦景気で重化学工業が発達し、工場労働者数がぐっと増えたのに伴い、米の消費量も増えて、米が不足がちになりました。そこにシベリア出兵がおこなわれたため軍用米の購入をみこした投機商人たちによる買占めや米商人の売り惜しみが重なって、米価が急騰したのです。

 

 

 

 これにたまりかねた富山県の漁村の主婦たちは米屋におしかけて安売りを要求しました。新聞がこの動きを「越中の女一揆」と報道すると全国の大都市や町村にも騒ぎが広がりました。この米騒動は50日も続き、寺内正毅内閣は軍隊を出動させたものの政府批判はおさまらず、退陣に追い込まれました。

 

 

 全国で70万人もの人々が騒ぎをおこした後ですから並大抵の人では首相はつとまりません。元老・山県有朋もさすがにそれを認識し、立憲政友会の原敬に首相をさせることにしました。原は伊藤がつくった立憲政友会の三代目総裁です。さんざん政党を嫌悪していた山県が、そんな人物を推薦したことが今までからするとありえない出来事です。米騒動の衝撃の大きさがわかります。

 

 

 これまで首相となった人物には、ひとりも衆議院議員はいませんでした。最初の政党内閣をつくった大隈重信でも政党に所属していただけで衆議院議員ではなかったのです。

 

 

 

 その点、原敬は岩手県選出の衆議院議員で所属政党は衆議院第一党の座にあります。これは現代の日本でも文句なく首相につくポジションです。

 

しかも原敬は華族ではなかったため、「平民宰相」とあだ名され、初めて本格的な政党内閣をつくることができたのです。

 

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