シーメンス事件から第一次世界大戦

新たに元老となった西園寺公望の要望で元老山県は次なる首相に山本権兵衛を推薦しました。長州・陸軍閥の桂太郎が民衆の猛反発を受けたので、今度は薩摩・海軍閥の大物である山本権兵衛を選んだのです。

 

 

 山本も桂と同じ藩閥政治家であることにはかわりませんが立憲政友会はこれを支持しました。そして山本内閣は軍部大臣現役武官制を改正しました。現役をしりぞいた予備役・後備駅であっても大臣になれるとしたのです。これで軍部はストライキで内閣を困らせることができなくなりました。こんなときに海軍高官の汚職事件が発覚しました。それがシーメンス事件です。

 

 

ドイツの兵器会社シーメンスから軍需品を購入する見返りに海軍高官らが賄賂を受け取っていたのです。それが国民に知れると再び倒閣運動が盛り上がり、第一次山本権兵衛内閣は総辞職しました。

 

 

 

 大正政変からまだ1年しかたっていないこの時期に、また薩摩や長州の出身者を首相に任命することはできません。そして選び出されたのが大隈重信です。

 

 

大隈なら国民からの人気も高く、すでに政党活動から離れているため、政党内閣になるということもありません。こうして大隈重信がふたたび首相となりました。これを支持したのはかつての大隈の仲間が所属している立憲同士会です。桂の死後に総裁となっていた加藤高明はこの内閣で外務大臣となりました。

 

 

 その第二次大隈重信内閣が成立してまもなくヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。当時のヨーロッパではイギリス・フランス・ロシアの三国協商とドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟が対立していました。両勢力は民族問題や植民地争いでもめていたのですが、1914年におこったサラエボ事件をきっかけに戦争に発展したのです。

 

 

 

 サラエボ事件とはバルカン半島のサラエボでオーストリア皇太子夫妻が射殺された事件です。犯人はセルビア人の青年だったため、オーストリア政府がセルビアに宣戦布告しました。

 

 

するとセルビアを支援していたロシアが参戦し、連鎖反応で多くの国々が参戦するに至ったのです。しかし三国同盟の一員であったイタリアは中立の態度をとり、のちに領土問題でもめたことが原因となって、やがて同盟を離脱し英仏側に味方して参戦しました。

 

 

 日本は日英同盟を理由にドイツに対して宣戦布告し、本来関わりのあまりないはずの対戦に参加していきました。これにはもちろん打算があってのことです。

 

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