足尾銅山鉱毒事件と大逆事件

労働問題のいっぽうで、環境を害する問題もおこっていました。なかでも有名なのは足尾銅山鉱毒事件です。栃木県の足尾銅山では廃水を渡良瀬川に垂れ流していたため、廃水に含まれる鉱毒で流域の田畑が被害を受けました。

 

 

 衆議院議員の田中正造は議会で操業停止を訴えましたが認められず、議員を辞職して天皇への直訴におよびました。それでも政府は抜本的な対策を取らなかったため、田中は1913年に死ぬまで住民とともに抵抗を続けました。

 

 

政府が住民に冷たい態度をとったのは足尾銅山を経営していた古川市兵衛が政府と深い関係にあったのと産出する銅が輸出品として外貨獲得に役立っていたからです。ちなみに足尾銅山は江戸時代から採掘されていました。そのころ鉱毒が問題にならなかったのは農業に配慮しながら排水していたからです。非常に素晴らしいことです。

 

 

 

 山県有朋の直系である桂太郎が2度目に首相をつとめていたときに社会運動を一気に冷え込ませる事件が起こります。社会主義者の幸徳秋水らが死刑とされた大逆事件です。

 

 

 幸徳はそれ以前の1906年に結成された日本社会党に所属していました。当時の第一次西園寺公望内閣は日本社会党に対して穏健的な姿勢でのぞみ、これを認めていました。もっともその姿勢が批判され内閣総辞職に追い込まれましたが。

 

 

 かわって成立した第二次桂太郎内閣は社会主義にきびしい態度を取り、1908年には戊申詔書を発しました。これはロシアに勝ったことで日本が一等国になったという風潮が国民の間で広がったため国民道徳を強化しようとして出されたものです。

 

 

 

 こうした西園寺と桂の政策を比べてみても二人がそれぞれ伊藤博文と山県有朋の後継者だったことがわかります。

 

 

 さらに桂内閣は1910年に天皇暗殺計画をくわだてた社会主義者を逮捕し、その際に計画に無関係な社会主義者も逮捕しました。これが大逆事件です。

 

 

その数は全国で数百人にもおよび、幸徳秋水も計画には無関係でしたが急進的な社会主義者として政府に睨まれており、翌年、他の11名とともに死刑に処されました。かつて幸徳は1887年の保安条例で師匠である中江兆民とともに東京から追放されたことがあり、さらに足尾銅山鉱毒事件の際には田中正造の直訴文を起草しました。その後は日露戦争に反対するなど、政府から見ればかなりの危険人物であったことがわかります。

 

 

 幸徳秋水が見せしめのように処刑されると社会主義はしばらくのあいだ衰えることになります。

 

 

関連ページ

戊辰戦争
五箇条のご誓文、五傍の掲示、版籍奉還
廃藩置県から岩倉遣外使節団
国民皆兵、地租改正
国民皆学、交通・通信の向上
文明開化の波
明治時代、士族は年金暮らし?
明治時代の琉球と朝鮮と日本の関係
明治六年の政変から台湾出兵、江華島事件
樺太・千島交換条約から自由民権運動へ
士族の不満と反乱
大久保の最期と次世代への道
明治時代の士族の不満と反乱
大久保利通が亡くなった後の政治
自由民権運動の広がりと新時代
政党の結成と私擬憲法
民権派の再結集と初代内閣総理大臣
大日本帝国憲法の制定
明治憲法の内容 
黒田清隆の超然主義
挫折を繰り返す明治時代の条約改正と大津事件
朝鮮国内の混乱から日清戦争へ
日清戦争後の政治形態
ロシアとの対立と清の列強支配
伊藤博文と山県有朋の対立
日英同盟と日露協商。優先は?
反対者も多かった日露戦争
納得できなかったポーツマス条約
松方デフレから産業革命へ
渋沢栄一の偉業
製糸業の発展と製鉄業
金本位制と労働運動の広がり
大正の始まりと軍部拡張
シーメンス事件から第一次世界大戦
日本軍の動きと大戦景気
ロシア革命とシベリア出兵
西園寺公望とパリ講和会議
領土問題とワシントン会議
日本の帝国主義と大正デモクラシー
天皇と天皇機関説
農民運動と原敬
原敬の最後と関東大震災