製糸業の発展と製鉄業

 山本茂美の「ああ野麦峠」という作品には製糸業で働く工女たちの様子がかかれています。岐阜県飛騨地方の女性が野麦峠を越えて長野県諏訪地方の製糸工場へ出稼ぎに行くのですが、その距離は約140km。

 

 

工場に向かうのは2月、3月ごろで年末にお金を持って親元へ帰ります。吹雪の中を歩くこともあり、足を踏み外して谷に落ちて死んでしまうこともありました。工場では栄養不足と不潔な環境、苛酷な労働のために結核で亡くなることも多く、命がけの労働でした。「工女節」という歌の次の一節は有名です。

 

 

 

「男軍人は女は工女 糸をひくのも国のため」
男性は軍人として国のために多くが犠牲になりましたが、工女たちの多くも国のために命を落としていったのです。1909年日本は中国を抜いて世界1位の生糸輸出国になります。幕末に貿易を開始してからちょうど50年目のできごとでした。

 

 

 日清戦争前後におこった産業革命は紡績業や製糸業などの軽工業を中心とするものでした。重工業部門の立ち遅れは明らかで、ロシアとの戦争が迫っている頃になっても軍備拡張のための鉄鋼は輸入せざるをえない状態でした。

 

 

そこで政府は福岡県に八幡製鉄所を設立し1901年から操業を開始しました。原料は中国の大冶鉄山の鉄鉱石を輸入し、筑豊炭田の石炭を使用しました。その後、北海道の室蘭に三井とイギリスの共同で日本製鋼所が設立されました。こちらは釜石鉄山の鉄鉱石と北海道の炭田を使用しています。こうして国内でも鉄鋼生産が可能になりましたが、それでも生産量が足りず、戦後までずっと鉄鋼不足に悩むことになります。

 

 

 

 交通の面では新橋・横浜間に敷設した鉄道が延長され1889年には東京・神戸間に東海道線が全通しました。また、意外なことかもしれませんが私鉄会社の設立が相次いだため、当時は官営よりも民営鉄道のほうが距離が長かったのです。

 

 

それが逆転したのは軍事輸送に配慮して1906年に鉄道国有法が制定されてからです。それ以後、とくに立憲政友会は地元に鉄道を誘致することで票を獲得するという工作をするようになります。

 

 

 海運業では三菱財閥の祖となる岩崎弥太郎が経営する郵便汽船三菱会社が台湾出兵や西南戦争の際の軍事輸送を請け負っておおいに発展しました。これに対抗したのが三井を中心に渋沢栄一がつくった共同運輸会社です。両者が値引き競争などをおこなって激しく争い、その際に岩崎と渋沢は直接ケンカしたとまで言われています。最終的に1885年に合併し日本郵船会社となりました。

 

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