明治時代の士族の不満と反乱(神風連の乱、秋月の乱、萩の乱)

自由民権運動がはじまったころ、士族たちも反乱を起こしはじめていました。
 明治維新のさまざまな改革は士族に不満を抱かせるものが多くありました。1872年には国民皆兵をうたう徴兵告諭で士族のプライドは傷つけられ、翌年は征韓中止で活躍の場を奪われました。そして1876年に廃刀令が出された上に秩禄処分で生活も苦しくなりました。

 

 

 こうしたできごとと平行する形で士族の反乱があいついで起こっていきます。まず1874年に佐賀の乱がおこりました。民選議院設立建白書に署名した江藤新平が佐賀に戻ると不平士族にかつがれて反乱をおこしたのです。大久保利通はこれを鎮圧すると江藤を処刑してさらし首にしました。

 

 

 秩禄処分がおこなわれた1876年には熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱、山口で萩の乱と3つの乱がおきました。明治維新の中心だった長州(山口県)でも反乱がおきたということは、それだけ維新の改革スピードが速く取り残される人が多かったということでもあります。

 

 

 そして1877年には西南戦争が起きました。西郷隆盛の教え子たちが勢いあまって反乱を起こすと情に厚い西郷隆盛は盟主となって政府軍がおかれている熊本城を攻め立てました。

 

 

 ところが豊臣秀吉配下であった加藤清正がつくった熊本城は落とすことができません。政府軍を「農民兵」とあなどっていたことも失敗でした。徴兵令で集められた農民兵でも装備や訓練度で西郷の軍を上回っていたのです。

 

 

 政府軍に包囲されるなか、西郷は「もうここらでよか」と言って自刃したとされています。こうして半年以上におよぶ内乱は西郷軍の敗北で終わりました。

 

 

 この秩禄処分から士族の反乱は大久保にとっては予想していたことだったようです。そのための準備もしてありました。まず徴兵令によって国民の8割をしめる農民から軍隊を作る。そこに最新鋭の兵器をあたえて訓練をさせる。そして秩禄処分と同年に地租改正反対一揆が起こると早々に地租の税率をさげて農民だけは懐柔する。そして農民を士族にぶつけるという態勢をつくっていたのです。

 

 

 こうして日本で最大最後と言われる国内戦争が終結したということになります。
少し余談ですが大久保利通も西郷隆盛と同じ薩摩の出身です。しかし薩摩で絶大な人気を誇る西郷に対して、その西郷と敵対した人物とされる大久保は非常に嫌われていて、のちに大久保が暗殺され、その骨を故郷の薩摩に戻そうとしたときに薩摩の人たちが受け入れを拒否したとされています。大久保の骨が故郷に戻れるようになるのはずっと後のことになりました。

 

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