藤原師輔の九条殿遺誡からみた平安時代の貴族の生活

 道長の祖父、藤原師輔が残した文章を手がかりに、貴族の生活や彼らの文化を見てみます。
師輔は「九条殿遺誡」という子孫へ残す文章を書いています。幅広い内容をもつ文章ですが、とくに道徳的な教えと貴族として毎日行うべきことについて、詳しく述べています。



 師輔は、貴族は朝起きてからまず、自分のうまれた年の守り星の名を7回唱え、鏡で顔を見て自分の健康状態を確かめるようにと書いています。それから、暦に記されているその日の吉凶をたしかめ、楊枝で歯を掃除し、口をすすいで手を洗い、仏の名を唱えたり、信じている神社を心に思い浮かべたりしたあと、前の日の日記を書くべきだ、としています。その後、粥を食べ、3日に1度は髪をすき、決まった日には爪を切り、だいたい5日に1回、湯で体を清めることをすすめています。ただし、湯で体を清める日は陰陽道で許された日だけでした。このように貴族たちのあいだでは、神仏や陰陽道の教えが入り混じったかたちで信じられていたことがわかります。


 師輔たち貴族が生活していた邸宅は寝殿造りと呼ばれています。中央に寝殿、その東西に対、南側の大きな庭園にはたいてい池があります。広い建物には壁がなく、障子、屏風、几帳などで間仕切りして使いました。豪華な設備ですが、柱などは色を塗らない白木、屋根は瓦を使わずヒノキの皮を用いた檜皮葺で、見た目にもすっきりとした印象があります。寝殿造りには床があって、建物同士は回廊で結ばれていました。


 平安時代の男性貴族の正装は束帯・衣冠、女性貴族は女房装束でした。女房装束は現在は一般に十二単として知られています。束帯や女房装束は私たちの目からはいかにも日本的な服装に見えますが、もともとは律令制で定められた朝服から変化したものです。平安時代初めの朝服は、唐の官人たちが仕事のときに着ていた服と同じような中国風の服でした。つまり、平安貴族たちの服装も中国文化の影響を日本人の好みにあうように整えて出来上がったものだったのです。


 朝服は、位階によって色が決まっていました。朝服は色の分け方とは違いますが、束帯も身分で色を分けました。あまり堅苦しくないうちとけた場では、男性は直衣・狩衣という服を着たり、女性は女性装束をかんたんにして着たりしました。


 食事は1日に2回が原則でした。魚介類や野菜、海藻に鳥肉など貴族たちは色々な食材を口にしていました。日本の環境にあった食事をしていたといえるでしょう。