浄土信仰と陰陽道

 慶滋保胤の「日本往生極楽記」など、浄土に生まれ変わり往生したとされる人々の伝記集も編纂されました。



 浄土信仰では、往生するときの様子や浄土の風景をはっきりと思い浮かべることが大切であるとされ、往生の様子や浄土の風景を描いた絵画が作られました。また、藤原道長が建てた法成寺、藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂など、浄土を表現した建物もつくられました。平等院鳳凰堂には、多くの木材を組み合わせて大きな仏像をつくる寄木造という方法で作られた阿弥陀如来像がおかれています。これは仏師定朝が作ったもので、いまもその見事な姿を見ることができます。


 また、道長の時代の前後には天皇が自分で神社に参拝することや、公卿を天皇の使いとして神社に送り、参拝させることが盛んになります。これは天皇をケガレから守ろうとする考え方が強まったためです。


 いっぽう、この時代に貴族たちが信じていた思想の一つに陰陽道があります。陰陽道は中国でうまれた思想で、もともとは自然のしくみをさぐる学問でもありました。日本では災いを避けるための占いや呪術として貴族社会に広まっていきました。陰陽道に通じた人物として、安倍晴明が知られています。道長をはじめとする権力者たちは、陰陽道を信じて毎日の行動にいかしていました。また、晴明のような陰陽師に呪術などを依頼することもよくありました。


 「小右記」には、993年に安倍晴明が藤原実資邸を訪れた話が書かれています。このころ晴明の位が上がった理由を実資が尋ねました。すると晴明は、一条天皇が急に病気になったので、命令によって祓い清めの儀式をしたところ、天皇の病気が治り、褒美として位が上がったと答えています。晴明のような陰陽師が、その特別な力をいかして朝廷のなかで活動していた様子が伺えます。


 このころ、病や天災などをもたらすと信じられていた神や霊をしずめるための行事が、多く行われるようになりました。こうした行事を御霊会といいます。御霊会は今宮社、稲荷社、祇園社、北野社などで行われましたが、これらの行事では京に住む民衆がおおいに活躍しました。公式に記録に残っている御霊会は863年に神泉苑で行われたのが最初とされています。 祇園御霊会は869年に病が流行した際に、牛頭天王を祭ったのがはじまりとも伝えられていますが、実際には970年にはじまったという説が有力です。牛頭天王は、病の流行をしずめてくれる神だと信じられていました。