平安時代 天皇を後見する人々 「源氏物語」「栄花物語」

 「源氏物語」「栄花物語」のような、このころ書かれた文学作品のなかでも、天皇の位をだれが受け継いでいくのかということは、大きな関心ごとの一つになっています。また、天皇の位を受け継ぐためには、良い後見がいるかどうかが、非常に重要なことだったと書かれています。後見とは、天皇や后たちを政治力や経済力で背後から支える人々のことです。身分が高く大きな力をもった後見がいなければ、たとえ自分自身に能力があっても天皇になることは難しかったというのです。



 こうした物語のなかだけでなく、実際の歴史をみても天皇の位を受け継ぐ際には後見になる人物が重要な役割を果たしていたことがわかります。


 このころの貴族は結婚すると男性が女性の住む家で共に生活しました。また、生まれた子どもは女性の実家で育てるのが普通でした。天皇が結婚した場合には、天皇の住まいを内裏の他へは移せないので女性が内裏に入りました。これを入内といいます。しかし、入内した女性の生活や、天皇との間に生まれた皇子・皇女の養育については、女性側の家の人々が後見として大事な役割を果たすことが多かったのです。


 入内して天皇の妻となり、次の天皇の母ともなる女性たちは多くの財産などを与えられ、ときには政治権力の行方に影響を及ぼすこともありました。


 ここで、自分の子、孫、ひ孫を合わせて5代もの天皇に影響を及ぼした女性を紹介します。藤原道長の娘であり、父の権力を確かなものにするために重要な役割を果たした彰子です。彼女は、紫式部や男女の恋愛を細かやかに描いた「和泉式部日記」の作者である和泉式部、「栄花物語」の作者といわれる赤染衛門など、このころ女流文学者として実力のあった人たちが仕えた主人でもあります。


 988年、藤原道長と源倫子とのあいだに生まれた彰子は12歳で女性の成人の儀式をして、999年、一条天皇の宮廷に入内しました。このとき天皇は彰子よりも8歳年上でした。


 一条天皇にはすでに定子という中宮がいました。定子は道長の兄の道隆の娘です。


 定子につかえた清少納言が随筆「枕草子」のなかで、道隆一家を明るく描いていますが実際には道隆一家には不運が襲っていました。


 995年に道隆が亡くなり、翌年、定子の兄の伊周と隆家が道長との権力争いに敗れて力を失います。伊周は自分の身を守るために定子の住まいに隠れました。しかし、伊周を逮捕しにきた検非違使は、中宮である定子の住まいにまで踏み込んできたのです。