平安時代の元慶の乱、物部氏永による反乱 地方社会の混乱

 地方社会が大きく変わっていくなかで各地に混乱が起きました。中央の有力者と結んだ地方の富裕な人々は、時には国司を襲ったり殺害するなどの事件や騒動を起こすこともありました。また、日本列島の各地で大きな戦争も起こりました。



 まず、桓武天皇の時代に蝦夷との戦いが行われた東北地方では、878年に日本海側で大きな乱が起こります。元慶の乱です。国家や中央の有力者たちは津軽から渡島(北海道のこと)にかけて住む蝦夷と交易し、北方の産物を手に入れていました。しかし、凶作の年にも国司が蝦夷から厳しく税を徴収したり、中央の有力者が使いを送り、馬や鷹などの北方の特産品を無理やり取り立てていったことから乱が起こったのです。国家は広い範囲に散らばって住む蝦夷をうまく分断しながら、ようやくこの乱をおさめました。


 東北地方に隣り合い、蝦夷との戦争で大きな役割をはたした東国は防人など国家の軍事力を生み出す特別な地域でもありました。


 9世紀後半、東国では故郷から移住させられていた蝦夷である俘囚がたびたび反乱を起こしました。また、同じころの東国には群盗と呼ばれる武装した盗賊集団が活動していました。とくに、889年に起きた群盗の首領である物部氏永による反乱は大規模で、これをしずめるのに10年もかかりました。


 このようななかで、関東から都への税の運搬と安全を請け負う有力者の集団も登場します。彼らは群盗に備えて武装していましたが、ときにはみずからも他の集団を襲いました。


 このような治安の乱れに対処するため、国家は899年、東海道の足柄峠と東山道の碓氷峠に関をもうけて通行を取り締まりました。また、各種の武装集団をしずめるため、武芸にすぐれた中級の皇族・貴族に押領使などの称号をあたえて地方に赴かせました。


 いっぽう、9世紀になると日本列島全体で、船による流通がいっそう発展しました。七道に代表される陸上交通にばかり注目があつまりがちな古代の流通ですが、実際には水上交通も重要な役割を果たしていたのです。


 様々な水上交通ルートのなかで、国家がもっとも重要だと考えていたのは瀬戸内海の海運ルートでした。この海運ルートを通じて、大宰府からは中国から輸入された唐物や真綿などが、また山陽地方や四国からは米などが都へ運ばれました。


 しかし、こうした船による運送に携わる人間のなかには海賊行為を働く人間もでてくるようになっていきます。国家は海賊を取り締まりますが、なかなか鎮められませんでした。