平安時代の地方の信仰

 地方の寺や仏堂が特にさかんに建てられた9世紀前半の集落からは墨書土器がたくさん見つかっています。墨書土器の内容には、日本古来の祭祀だけでなく、中国から持ち込まれた道教の信仰や呪術に関わるものも多くなっています。



 たとえば、千葉県山武郡芝山町庄作遺跡では、「国玉神奉」と書かれた土器が出土する一方で、「竈神」と書かれた土器も出土しています。国玉は、その土地のタマ(魂・玉)という意味で、伝統的な日本古来の神の名といえます。この土器に食べ物を盛り、国玉神への願いを込めたと考えられています。それに対して竈神は中国から伝えられた道教の神です。竈神は、かまどや囲炉裏、台所、そこに燃える火を神聖なものとして祭られる神で、現在でも家に竈神を祭っている例があります。


 このように道教の影響を受けながら、奈良時代から平安時代にかけて盛んになった信仰や呪術のなかには現在まで続くものもたくさんあります。


 たとえば「蘇民将来之子孫者」と書かれた木簡が、長岡京跡から出土しました。これは、蘇民将来という人物が疫神をもてなしたおかげで、その子孫が疫病から逃れることができるようになったという信仰にもとづくものです。これもまた、道教の影響を受けた信仰の一つです。このころ、疫病は疫神によってもたらされると考えられていたので、人々は疫神をもてなすことで、災いから身を守ろうとしていました。蘇民将来が疫神をもてなしたことから「蘇民将来之子孫者」と書かれた木簡には、疫病から身を守る効果があると考えられていたようです。この札は、現在でも日本各地で見ることができます。


 また、「急々如律令」と書かれた木簡は、奈良時代以前から数多く見られ、平安時代にも各地に広がっていました。静岡県の伊場遺跡から出土した木簡にも、このことばが記されています。これは、怪物などの悪いものが律令のきまりに従って素早く退散してくれるようにと願ったことばです。「急々如律令」と書かれた札もまた、現在でも民間信仰のなかで見ることができます。


 このように、平安時代初めごろの地方社会では集落に小さな仏堂が建てられるなど、仏教が広まっていた一方で、日本古来の祭祀や中国風の信仰・呪術もひろまっていました。仏教・道教・日本の神々が入り混じって信じられていたことがわかります


 中国や朝鮮半島などの東アジア世界との交流のなかで、今に続く日本人の信仰が形作られていったのです。