9世紀のお触れ書き

 江戸時代を舞台にした時代劇のなかで、幕府や藩からの通達を書いた板が往来に掲げられ、これを読む人々の様子がよく出てきます。こうした板を「お触れ書き」と呼んでいます。お触れ書きには幕府や藩からの命令や、禁止事項などが書かれており、庶民にこれを守るよう強制する役割を果たしました。江戸時代ではなじみの深いお触れ書きですが、最近こうしたお触れ書きのようなものが古代にもあったことがわかりました。



 石川県金沢市の北、津幡市にある加茂遺跡は、古代には北陸道が通っており、河北潟という大きな潟湖とつながる水路もあって交通の上で非常に重要な場所でした。20世紀最後の年となる2000年にそこから1枚の板が発見されました。この板をよく見るとでこぼことした盛り上がりがあります。さらにくわしく調べてみると、この盛り上がりは文字であることがわかりました。この板には墨で文字が書かれていましたが、墨には防腐作用があるので板が風化したあとも文字の部分だけが盛り上がった形で残っていたのです。


 これらの文字を解読した結果、このお触れ書きには政府から農民に出されたいくつかの命令が書かれていたことがわかりました。


 まず、朝は午前4時ごろに農作業に出かけ、夜は午後8時ごろに家に帰るように農民に命じています。政府が農民に対して1日16時間も働くことを命じているのです。守られたかどうかはともかく、国家がこれほど長時間の労働を農民に命じていたことが重要です。


 また、農民が勝手に酒を飲んだり、魚を食べたりすることを禁止しています。これは単に、農民に贅沢な暮らしをすることを禁じているだけではありません。このころの農作業は多くの人手を必要とする大変な仕事でした。豊かな農民であれば、酒や魚を用意してたくさんの人手を確保することができます。反対に貧しい農民は人手を確保できずに農作業が滞ってしまうことも考えられます。富裕な人々とそれ以外の人々との差が開きすぎないように酒や魚で人々を働かせることを抑えようとしたのです。


 このお触れ書きが出されたころは全国的な不作が続いていました。政府は農民に対してこのような命令を出すことで不作という危機を乗り越えようとしたのかもしれません。


 このお触れ書きの命令は下級官人たちを通じて農民たちに読み聞かせる形で出されています。このころの農民たちは文字が読めなかったと考えられているので、農民たちは文字の権威を感じながら内容を聞いたのでしょう。