平安時代の神々の変化と自然

 国家や天皇を守ることを期待されたのは仏教だけではありません。日本古来の神々にも同じ役割がありました。奈良時代にはすでに春日社の祭りが天皇から使いを送られる公的な行事として認められるよになっていたようです。春日社には聖武天皇や孝謙天皇の母方にあたる藤原氏を守護する氏神が祭られています。平安時代になると、このような天皇の母方の親族を祭る神社の祭りに天皇が公式な使いを送ることが増えていきました。



 また、現在の三重県伊勢市にある伊勢神宮は以前から重要な神社でしたが、平安時代の初め頃から天皇の父方の祖先を祭る場としてあらためて強く意識されるようになりました。国家は伊勢神宮を中国の皇帝が祖先を祭る場所である宗廟と同じような意味をもつ場所として整えていきました。


 さらに、都の近くにある賀茂神社などの祭りのほか、平安宮のなかにある神社の祭りが、公的な行事として重んじられるようになりました。


 こうして、天皇の父方、母方の氏神、都を守る位置にある神社などが、国家の安定や豊作を願って、より大切に祭られるようになったのです。


 9世紀ごろ、日本列島では自然災害が頻繁に起こったり、疫病が流行するなど社会は不安な空気に満ち溢れていました。


 9世紀の史料を見ると、たとえば818年には関東で大地震がおきたことがわかっています。864年には富士山が噴火しました。このときの噴火の様子はすさまじく、火柱が60mに達したとも言われています。甲斐国では、溶岩流が押し寄せて湖の水が熱湯のようになり、湖でくらす生き物たちにも大きな被害がでたようです。また、人々が暮らす家も溶岩流に飲み込まれ多くの人が亡くなりました。


 さらにこのころには原因が解明されていなかった疫病がたいへん恐れられていました。 たとえば994年から995年にかけて大流行した「はしか」は普通の人々だけでなく、都の官人たちにも流行りました。都では「はしか」で亡くなった人々の死骸で道がふさがれるほどだったといいます。



 このように、このころの人々は自然の脅威の前になんの手立てもなく生活を一変させられてしまうことが少なくなかったのです。


 こうしたなか、天皇は新しい仏教を保護したり、祭祀のしくみをあらためることで神仏に国家や自分自身を守ってもらおうと強く願いました。最澄や空海によって新しい仏教である密教がうみだされ、人々にこれが広く受け入れられていった背景には、こうした社会不安があったのです。