桓武天皇の蝦夷政策

光仁天皇の時代、780年に陸奥国の伊治城で都から派遣されていた陸奥按察使の紀広純が蝦夷出身の上治郡の長官、伊治呰麻呂に殺される事件が起こりました。

 

 

伊治城は767年に築かれた城で、このころ蝦夷に対する最北の前線基地でした。伊治呰麻呂は、もともとこの地域の蝦夷の首領だったのですが、この地域が律令国家に服属して郡がつくられたあと、郡司の長官に任命されたのでした。

 

 

ところが、ほかの郡の長官が、伊治呰麻呂が蝦夷出身であることを侮辱したことがきっかけになり、怒った伊治呰麻呂が最高官である紀広純を殺してしまいました。さらに伊治呰麻呂は陸奥国の行政の中心である多賀城を焼き払ってしまったのです。

 

 

 

長年にわたる発掘調査の結果、8世紀前半につくられた多賀城は8世紀なかばごろと末ごろに建替えられていたことがわかりました。8世紀なかばごろは藤原仲麻呂の子、藤原朝?が陸奥按察使として派遣されたときに大規模に建替えられたときのものでしょう。8世紀末に建替えたのは伊治呰麻呂が焼いてしまった多賀城を建替えた時期と重なります。

 

 

この伊治呰麻呂の反乱をきっかけに38年に及ぶ律令国家と蝦夷との戦争が始まります。

 

 

桓武天皇にとっても蝦夷の支配は重要な課題でした。788年、紀古佐美を蝦夷戦争の責任者である征東大使に任じて軍隊を派遣しますが、翌年蝦夷の首領アテルイが率いる強力な蝦夷軍に敗れます。

 

 

 

桓武天皇はあらためて戦争準備を行い、794年、2度目の蝦夷戦争が始まります。このとき征夷大将軍大伴弟麻呂の部下だった坂上田村麻呂が最前線で指揮をとり、蝦夷との戦いに勝利しました。

 

 

797年には、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、蝦夷戦争の最高責任者となりました。そして801年、3度目の戦争がはじまります。

 

 

このとき胆沢の地を占領し、胆沢城を築くことになりました。蝦夷の首領だったアテルイとモレの二人も田村麻呂に降伏します。これ以降、蝦夷支配の拠点である鎮守府が多賀城から胆沢城に移されました。

 

 

 

しかし、度重なる蝦夷との戦争は長岡京や平安京といった都の建設と並んで国家の財政を圧迫する大きな原因となりました。のちに藤原緒嗣は「いま、天下の民が苦しんでいることは蝦夷戦争と都の建設の二つです。この二つをやめれば民は安心します」と桓武天皇に進言し、桓武天皇はこの意見を受けいれ、この二つの事業を中断したのです。

 

 

そして811年、文屋綿麻呂が将軍となっておこなわれた蝦夷戦争を最後に、38年にわたる蝦夷戦争は終わりました。

 

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