長岡京廃止の謎

長岡京が建設されるまで水陸交通の中心として重視されていたのが、大阪湾にあった難波津でした。遣唐使も難波津から出発しており、難波津は対外交流の玄関口だったのです。

 

 

そのため、ここには7世紀に難波京がおかれ、都が平城京に移っても、都につぐ「副都」としてつかわれてきました。

 

 

 

ところが、ここで問題が起こります。7世紀後半以降、都や大寺院をつくる大規模な工事が続いていましたが、淀川の上流や支流の山奥まで大量に森林の伐採がつづき、そのせいで環境破壊がすすんでいたのです。

 

 

その結果、大量の土砂が淀川を通じて大阪湾に流れ込み、淀川の河口になる難波津が浅瀬になってしまいました。これでは港として使うことができません。そこで政府は難波津と難波京を廃止することにし、長岡京の建設とともに、新しい水上交通路を整えていきました。

 

 

 

政府は、難波宮の建物を解体して、長岡宮の建物の部材に再利用します。長岡京に都が移ることにより難波京はその使命を終えたのでした。

 

 

しかし長岡京にも事件が起こります。長岡京に都が移った翌年の785年、都作りの責任者だった藤原種継が、何物かに暗殺されてしまったのです。この暗殺事件には桓武天皇の弟で皇太子だった早良親王が関わっていたという疑いがかけられました。早良親王は皇太子の位を降ろされ、失意のうちに亡くなりました。

 

 

このあとも桓武天皇のまわりでは様々なことが起こります。788年には桓武天皇の妻のひとり藤原旅子が、789年には母の高野新笠が、790年には皇后の藤原乙牟漏が次々に亡くなります。

 

 

792年には長岡京を洪水が襲います。長岡京は水上交通に便利な土地でしたが、それだけに水害のおそれがある地域でもありました。

 

 

桓武天皇に降りかかる様々な不幸や災害は、藤原種継暗殺事件にかかわったうたがいをかけられて失意のうちに亡くなった早良親王のたたりではないかと考える人もいました。ときの政権によって無念の死をとげた人が死後にそのたたりによって政権を悩ませるという考え方を怨霊思想といいます。

 

 

早良親王は日本における怨霊思想のはじまりといわれています。この災難を振り払うための祭りをおおがかりに行ったという土器が長岡京の跡地から発見されています。

 

 

こうした状況の中、桓武天皇は長岡京をあきらめてさらに新しい都をつくる決意をします。長岡京のさらに北で、水害にあいにくい場所が選ばれました。794年、ついに桓武天皇は都をその場所に移します。これが平安京の誕生です。

 

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