藤原仲麻呂の失脚と道鏡の登場

藤原仲麻呂の権力にかげりが見え始めたのは760年、光明皇太后が亡くなってからのことでした。光明皇太后の後ろ盾を失うことで仲麻呂の影響力は衰えはじめたのです。

 

 

さらに一人の僧侶の登場が仲麻呂の権力に決定的な打撃を与えました。道鏡です。道鏡はすでに天皇の位を退いた孝謙太上天皇の病気を治したことをきっかけに信頼を受けていました。

 

 

このことが原因になり、孝謙太上天皇と淳仁天皇の関係が壊れてしまうことになるのです。それまで二人をとりなしてきた光明皇太后が亡くなったことも追い討ちをかけました。

 

 

 

孝謙太上天皇は「これからは国家の重大な決定は自分が行う。淳仁は朝廷の毎日の行事を担当せよ」と宣言します。淳仁天皇は、孝謙太上天皇に権力の大部分を奪われることになり、仲麻呂も次第に追い詰められ、ついに挙兵します。

 

 

これが、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱です。孝謙太上天皇側とのあいだに激しく戦いが繰り広げられましたが、孝謙側の素早い攻撃に圧倒され、近江国で藤原仲麻呂は殺され、ここに仲麻呂政権は終わりをむかえたのです。

 

 

 

この藤原仲麻呂の乱は都とその周辺を戦場に変えてしまいました。のちに即位した称徳天皇は仲麻呂の乱の犠牲者の冥福を祈るため、100万基の木製三重小塔をつくらせ、都の周辺の十大寺に10万基ずつ奉納しました。

 

 

そのうちの45000基が今も法隆寺に残されており、小塔のなかに納められている陀羅尼経は世界最古級の木版印刷物として知られています。

 

 

藤原仲麻呂の乱を平定した直後、孝謙太上天皇は淳仁天皇を退位させ、ふたたび自分が即位します。これが称徳天皇です。

 

 

称徳天皇は僧侶である道鏡を政界の重要な位置につけ、彼に太政大臣禅師という最高の官職をあたえました。さらに766年には法王という称号をあたえ、天皇と同等の権限を与えたのです。

 

 

 

 

769年、九州の宇佐八幡宮の神託が朝廷のもとに届きます。「道鏡を天皇にすれば天下は太平である」という神のお告げです。

 

 

天皇の位を狙っていた道鏡は喜びますが、確認のために再び宇佐八幡宮に使わされた和気清麻呂はこれと正反対のお告げを朝廷に報告しました。「天皇のあとつぎには必ず皇族をたてなさい」というお告げです。これにおこった称徳天皇と道鏡は和気清麻呂を大隅国に追放しました。

 

 

この事件ののち称徳天皇は770年8月に亡くなります。称徳天皇の後ろ盾を失った道鏡は、その直後に下野国の薬師寺に追放され、2年後に亡くなります。一方、和気清麻呂は道鏡が追放されたあとに平城京に戻されました。

 

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