国分寺建立と大仏造立

聖武天皇は、恭仁宮に都を移した741年、全国にひとつの命令を出します。「国分寺建立の詔」です。

 

 

この命令は全国に国分寺と国分尼寺という寺院をおくことを定めたもので、国分寺には男性の僧20人と「金光明最勝王経」という経典を、国分尼寺には女性の尼10人と「法華経」という経典をおくことが定められていました。

 

 

この命令を受け、このあと各国では、長い時間をかけて国分寺と国分尼寺が作られることになります。この時期、仏教の力をかりて国家に降りかかる様々な試練を克服しようとする試みがなされていました。「国分寺建立の詔」もそうした背景からだされた命令でした。

 

 

 

さらに743年、紫香楽宮にいた聖武天皇は「大仏造立の詔」をだします。聖武天皇はこの3年前、河内国大県郡の知識寺という寺院に立ち寄ったとき本尊の仏像を見ました。

 

 

この仏像は仏教を信仰する人々が、金銭や労働力を出し合って作り上げたものだったのです。このことに聖武天皇は感激し、大仏をつくる決意を固めたといわれています。

 

 

全国の人々の力を結集して大仏を作ることで仏の恵みを受け、国家を安定させようと考えたわけです。はじめは紫香楽宮で大仏の造立工事が始まりますが、聖武天皇が平城京に戻ってからは都の東にある東大寺に場所を移して大仏の造営工事が本格的に行われました。

 

 

 

 

大仏の本体が完成に近づくにつれ、聖武天皇を悩ませた問題がありました。それは大仏の表面をおおうための金がないことでした。大量の金をどのように手に入れるかが大仏を完成させるうえで最大の問題だったのです。

 

 

ところがここで奇跡が起こります。749年、陸奥国小田郡で金が掘り出されたという知らせが都に届いたのです。しばらくして金が朝廷に献上されました。

 

 

聖武天皇は工事中の現場に赴き、大仏の前にひざまずいて、金が掘り出されたことを感謝する言葉を述べます。このとき自分を「三宝の奴である」と表現しました。

 

 

三宝」とは仏教を意味することばで、自分は仏教に仕える身であると宣言したのです。聖武天皇は仏教の力でこの国を平和にしようとしていました。こうした考え方を鎮護国家思想といい、奈良時代の仏教の大きな特色です。

 

 

 

聖武天皇の妻の光明皇后も、自分の邸宅に法華寺を建てたり、大量の仏教経典を書き写す事業を始めたりするなど、仏教をあつく信仰していました。天皇と皇后が信仰した仏教はこうして日本の国家と強く結びついていったのでした。

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