戦乱と聖武天皇

天平と年号を変えたあとも政治は安定しませんでした。毎年のように不作や飢饉が続き、734年には大地震も起こりました。さらに737年には天然痘という伝染病が流行し、瞬く間に都に広がります。

 

 

そして政治の中心にいた藤原氏の4兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)はこの病にかかり次々と死んでしまいます。

 

 

 

こうして政権は藤原氏の手を離れ、皇族出身の橘諸兄の手に移りました。そして二人の人物がこの政権で活躍します。

 

 

その2人とは、717年に遣唐使にしたがって唐にわたり勉学に励んだのち、734年に帰国した、僧玄ムと吉備真備です。二人は唐で学んだ経験を買われて政権で大きな役割を果たすことになります。

 

 

 

橘諸兄政権に対して反乱を起こした人物がいます。藤原宇合の子の広嗣です。彼はこのとき、九州の大宰府の官人として赴任していましたが、橘諸兄政権を批判して740年8月に挙兵しました。

 

 

政治の中心が藤原氏から下級氏族に移っていくことにいらだちを感じたのでしょう。橘諸兄政権はすぐに九州に軍隊を派遣しました。そして藤原広嗣は敗れ、乱は制圧されました。

 

 

 

飢饉、疫病、反乱。あいつぐ災難に聖武天皇はある行動をとります。740年10月、聖武天皇は「自分に思うところがあってしばらく旅にでる。そんなことをしている場合ではなないのはわかっているが、仕方ない」といって平城京を出発します。

 

 

天皇が都を離れて移動することを「行幸」といいますが、行幸にむかった先は伊勢国、美濃国、近江国でした。聖武天皇はこれらの地域をめぐったあと、山城国相楽郡の恭仁郷に到着し、平城京からこの地に都を移すことを宣言します。

 

 

 

「恭仁京」の造営は急ピッチですすめられますが、いっぽうで聖武天皇は、近江国甲賀郡にある紫香楽宮という離宮へ、なぜかしきりに行幸を繰り返します。

 

 

さらに聖武天皇は難波京へ都を移そうと思い立ち、744年には難波京を都とする宣言が出されます。しかし天皇自身はしばらく紫香楽宮にとどまり、しばらくすると今度は紫香楽宮を都とする宣言が出されました。このようにして、聖武天皇の不安から、都は平城京から恭仁京、難波京、紫香楽宮とわずか4年のあいだに目まぐるしく変わりました

 

 

 

これに戸惑ったのは官人をはじめとする都の人々です。都を移すことにたいする反発からか、紫香楽宮のまわりで放火事件が相次ぎ、さらに地震の被害も続きました。結局、聖武天皇は745年に紫香楽宮を離れて、平城京に戻ることになります。

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