風土記からみる土地の神へのおそれ

人間が生きていくために行う様々な労働は時に自然環境に大きな変化を及ぼします。「開発」という行為がそれです。奈良時代も例外ではありませんでした。奈良時代は、新しい国家のもとで、全国で土地開発が本格的に行われるようになった時代ということができます。このころ、人々はどのように自然と向き合い、どのように自然に手を加えていったのでしょうか。




奈良時代には、それぞれの地方に伝わる伝説や名産品などを記録した「風土記」という書物が、国ごとに作られました。現在残っている「風土記」はわずかしかありませんが、常陸国のことを記した「常陸国風土記」には次のような伝説が伝えられています。


継体大王の時代のことです。常陸国行方郡に箭括麻多智という人物がいました。あるとき、谷にあった葦原を切り開いて田を開墾しようとすると、「夜刀の神」が群がってあらわれました。夜刀の神とは古くからこの谷に住んでいるヘビのことで、地元の人々は神として怖れていたのです。夜刀の神は箭括麻多智がこの谷を開墾することに抗議するためにあらわれたのでしょう。


これに対して箭括麻多智はヨロイ・カブト・杖を身に着けて夜刀の神を追い払ってしまいます。そして山の登り口のところに土地の境界をしめす柱を立てて夜刀の神に告げて言いました。「ここより上の山側は神の土地、下を人間の土地とさせてもらう。これからは私があなたがたを永久に敬い祀ることにする。どうかたたらないでほしい」と。


こうして箭括麻多智はその谷を開発するかわりに、夜刀の神を祭るための神社を作りました。そして彼の子孫たちも代々あとをついで、この神社の祭りを担当したのです。


継体大王の時代とは、6世紀前半ごろと考えられていますが、この説話はそのころの人々が土地を開発するときに、どのようなことに注意を払っていたかがわかる非常に興味深い史料です。土地には、人間が分け入る以前から様々な生き物が住んでいました。この谷の場合はヘビだったわけですが、この土地の人々は古くからこの地に住んでいたヘビを夜刀の神として怖れていたのです。


ですから土地を開発するには夜刀の神と人間との共存をはからなければならないと考えたのでしょう。開発は人間が思うままに無制限に行えるわけではなく、土地の神にじゅうぶんに気を配ることが必要だったのです。このようにして、この時代の人々は自然との共存をはかったのでした。

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