郡司の権威と郡家

8世紀はじめに律令制度が本格的にはじまるようになってから都の外の地方社会では、それ以前に比べて変わった部分と変わらなかった部分があります。




大きく変わった部分は、それまでそれぞれの地方を支配していた豪族たちが郡司という国家の役人として位置づけられるようになったことです。そして中央政府と同じように決められた書式に従って公文書を作るなど、文字による行政を進めなければならなくなりました。このため、地方豪族たちは、文字を読み書きする能力を身に着ける必要に迫られました。各地から出土する木簡の中には同じ文字を繰り返し書いたり「論語」など中国の有名な書物の一部を書き写したりして、文字を勉強した跡がうかがえるものがあります。郡司はまた、中央から派遣された国司の部下として働かなければなりません。郡司が国司と道で出会ったときは、すぐに馬を降りて挨拶をしなければならないというきまりがあったほど国司の権威は強かったのです。


いっぽうで変わらなかった部分もあります。それは、村の人々に対しては地方豪族が相変わらず大きな力を持っていたということです。地方豪族が郡司として、つまり国家の下の官人として位置づけられたとはいえ、引き続き以前からの権威をもって村人を支配していたのです。中央から貴族が国司として派遣されても、村の人々は自分たちの支配者は軍郡司だと思っていたことでしょう。


こうした郡司の権威をしめす例をあげます。一つは郡家とよばれる郡の役所にあたる施設です。最近の発掘調査によって、各地で郡家の遺跡が確認されるようになってきました。


郡家には政治や儀式の中心となる郡庁院とよばれる区域があります。この区域の中央には南を正面とした正殿という建物があり、その東西には脇殿とよばれる建物が向かい合うように並んでいます。カタカナの「コ」のような形です。正殿の前には広場のような空間が広がり、様々な儀式などが行われたようです。こうした建物の配置は中央政府の役所やその地方支配の中心である国府と同じで、郡家が役所であることを意識させるつくりになっています。


郡庁院の近くには正倉とよばれる倉庫がつくられ、まわりの村から税として集められた稲が納められました。郡家はこのように物資が集まる場所でもあるため、陸上交通や河川交通に便利な場所に作られました。また、郡家の遺跡からは、多くの農具が発掘されています。おそらく農作業の指揮をとる場所であったとも考えられるのです。

 

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