「日本霊異記」 遠距離交易をする人々

「日本霊異記」に載っている説話で交易に関するものがあります。
聖武天皇のころ、平城京に楢磐嶋という人が住んでいました。楢磐嶋は大安寺という寺院の銭を30貫(3万枚)借りて敦賀津に商売に出かけます。楢磐嶋がお金を借りたという大安寺は藤原京の時代、大官大寺と呼ばれていました。記録には大官大寺には、九重の塔が作られたとあります。発掘調査でも、大官大寺はかなりの大規模な寺院だったことが確認されました。彼は敦賀津で様々なものを買い入れて船に積んで都に戻ることにしました。ところが途中で気分が悪くなり、品物を積んだ船を琵琶湖の岸に置いたままにして、一人で馬に乗って帰ることにしました。すると京都の宇治橋のあたりで3人の鬼と出会います。鬼たちは楢磐嶋を死後の世界に連れて行こうとする使者でした。



楢磐嶋は、なんとか死後の世界に連れていかれないようにしようと、鬼たちにごちそうを振る舞いました。その恩を受けた鬼たちは、楢磐嶋のかわりに別の人を死後の世界に連れていくことにしたので、楢磐嶋は90歳まで生きました。


「日本霊異記」は仏教にまつわる説話集なので、こうした話には仏教の立場から解説が加えられています。この話の最後は次のような解説がついています。


「楢磐嶋は、大安寺の銭を借りて商いを資金にして、利益を寺に納めたおかげで、死後の世界の誘いから逃れることができ、長生きをすることができたのである」


寺院の銭を使い、商売をすることで寺院に利益をもたらすことは、よいことだと考えられていたようです。こうした考えに支えられて和同開珎を使った交易が都を中心に広まっていったのでしょう。


さらにこの話で興味深いのは、楢磐嶋が都から日本海側の敦賀津までわざわざ出向いて行って商売をしていること、そしてそのときに琵琶湖の船を利用していたと考えられることです。楢磐嶋は説話上の人物ですから、本当にいたかどうかはわかりません。しかし、奈良時代には、様々な交通手段を利用して、全国を渡り歩いて商売をするような楢磐嶋のような人物がいたことがわかります。さらに内陸である大和国からわざわざ日本海側に出向いていることによって、塩や海産物などを仕入れて大きな利益を得ようとしていたことがわかります。奈良時代は、陸上交通や海上交通のみならず、湖や川を使った水上交通も利用して、様々な地域のあいだで交流が行われていた時代でもありました。

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