正倉院に伝わる古文書-写経所

正倉院に伝わる古文書の多くは、このころ仏教の経典を書き写すために東大寺に置かれていた写経所という役所が残した書類です。国家の安定のために中国からもたらされた仏教の経典をすべて書き写すというこのころの国家事業のもとで、多くの人々が写経にかりだされました。その仕事の細かい記録が正倉院に残っているのです。このなかには、写経所で働いていた人々の生活を知ることのできる史料もあります。



写経を行った人々は、位階を持たない下級の専門職員でした。彼らは試字とよばれる採用試験で選ばれ、文字を美しく書くという技術で生活していました。


しかし、その仕事はたいへんきついものでした。一日中、板の間に正座して経典を書き写しました。一日に4000字くらいを書き写していたといいます。毎日の食料と、布施とよばれる給料が支給されましたが、給料は書き写した文字数に応じた出来高払いで、誤字や脱字が見つかるとその数に応じて罰金を給料から差し引かれます。ですから、気を抜くことはできません。彼らは泊り込みで昼や夜も仕事を続けていました。


仕事場の環境は悪く、病気になる人も多かったようです。正倉院には、病気のために休暇を願い出た文書が残されています。病気になった家族の看病が必要でも十分な休暇が取れない人もいました。


このように仕事場の環境が悪くても毎日の生活を支えるには簡単にやめることもできません。生活費が足りなくなると、自分が住む家とひきかえに写経所から借金をしたり、さらには給料を前借りしたりする人もいました。彼らの借金証書も正倉院文書のなかには数多く残っています。彼らはこうして写経所の仕事に縛られながら毎日を暮らしていたのです。


ある日、彼らはもっと自分たちの待遇をよくしてもらおうと考えます。正倉院文書には、写経所の待遇改善願いの下書きが残されており、6か条の要求が書かれています。「人手があまっているので、写経生を追加採用しないで欲しい」「仕事着が汚いので取り替えて欲しい」「一月に五日の休みが欲しい」「食事がまずい」「胸の痛みと足のしびれをとるために薬酒を支給してほしい」「以前のように、毎日麦を支給してほしい」というのです。


この待遇改善願いの下書きが、清書されて実際に写経所に提出されたのかどうかはわかりません。しかし、ここからは華々しい国家事業を裏でささえた歴史の表舞台に登場しない多くの人々の生の声を聞き取ることができます。

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