他田日奉部神護の就職願い

正倉院文書のなかに、他田日奉部神護という下級官人が748年ごろに書いた就職願いが残っています。それによると神護は下総国海上郡の地方豪族の家柄で、代々海上郡の郡司をつとめていました。神護は、21歳のときに都にでてきて、有力豪族である藤原麻呂の従者を718年から11年間、さらに麻呂の姉である藤原宮子の従者を729年から20年間つとめました。宮子は文武天皇の中宮で、聖武天皇の母です。神護はその功績によって自分を海上郡の郡司の長官に任命してほしいと政府に願い出ています。

 

 

 

  郡司にはその土地の有力な地方豪族を任命するのが一般的でした。また、郡司の家柄にうまれた子弟が都にのぼってしばらく経験をつんだあと、地元に戻って郡司になることもこのころにはよくあることでした。神護も、そのころの典型的な地方豪族だったといえるでしょう。
  さて1989年、長屋王邸宅跡の北側を東西に走る二条大路の溝からも7万点にも及ぶ木簡が発見されました。そのなかに、他田日奉部神護の名が書かれた木簡がありました。

 

 

 

  この木簡は736年に藤原宮子の家から藤原麻呂の家に送られた木簡でした。そこには藤原麻呂の邸宅に中宮の従者19名が出向いて働いているけれども、彼らの働きぶりの評価や昇進に必要な経費を藤原麻呂の家から出して欲しいという依頼が書かれていました。

 

 

 

  この19名のなかに他田日奉部神護の名が見えるのです。正倉院文書にのこる就職願いによれば736年ごろ、神護はたしかに藤原宮子の従者でした。しかし実際には藤原麻呂の邸宅に出向いて働いていたことが木簡からわかりました。

 

 

 

  この木簡が書かれた翌年、藤原麻呂は天然痘という伝染病で亡くなります。このとき神護は長く仕えていた麻呂の邸宅を離れ、宮子の従者という元の仕事に戻ったのかもしれません。そして748年、そろそろ地元に戻って郡司の長官になりたいと彼は政府に就職願いをだすのです。彼の望みが叶ったのかどうかは残念ながら記録には残されてはいません。

 

 

 

  前の章で挙げた出雲臣安麻呂と他田日奉部神護。ここで取り上げたこの二人の下級役人は、ほぼ同じ時期に同じような身分で都の貴族に仕えていました。しかも一人は長屋王。もうひとりは藤原麻呂という政治上のライバルのもとにそれぞれ仕えていたのです。

 

 

 

  その二人の貴族は二条大路をはさんだ北と南に邸宅をかまえていました。この当時の下級役人たちの出世や生活ぶりを知ることで当時の役人たちの生活を知ることができます。

 

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