出雲臣安麻呂の昇進 

 長屋王邸宅跡から出土した木簡の中に山城国乙当郡出身で29歳の出雲臣安麻呂という人物が出てきます。

 

 

無位出雲臣安麻呂 年二十九 山城国乙当郡 上日 日三百二十 夕百八十五 
升五百五

 

 

と木簡に書かれています。

 

 

どうやら位階を持っていない人物のようです。上日は勤務日数を意味することばですので安麻呂は長屋王邸宅で働いていたのでしょう。さらにその下にある「日」は昼間の勤務を、「夕」は夜の勤務をしめすことばです。つまりこの木簡には安麻呂の1年間の勤務日数が記されているのです。これによれば1年間で、昼間の勤務が320日、夜の勤務が185日となります。

 

 

 そしてこの出雲臣安麻呂という人物は正倉院にのこる726年の「山城国愛宕郡計帳」という古文書にも登場します。

 

 

「男大初位下出雲臣安麻呂年肆拾貳 正庁 眉黒子 北宮帳内」

 

性別に続く「大初位下」は安麻呂のもつ位階です。また「肆拾貳」は「四十二」という数字を簡単に書き換えられないようにわざと難しい文字で記したものです。これによると726年の彼は42歳で大初位下という位階をもっていたことがわかります。一番最後にある「北宮帳内」とは長屋王の妻である吉備内親王の従者として仕えていたという意味です。これらのことから安麻呂は42歳になったこのときも長屋王の一族のもとで働いていたことがわかります。なお、この3年後の729年、長屋王の変により、長屋王の一族は藤原氏に滅ぼされてしまいます。

 

 

 さて、出雲臣安麻呂は29歳から42歳のあいだに、どのように昇進していったのでしょうか。このころの法律によれば、都に勤務する官人は、毎年1回働きぶりが評価されて6回評価を受けると昇進の機会がめぐってきます。つまり6年間、大きな失敗をすることなくまじめに働いていれば位階がひとつ上がるしくみになっていたのです。

 

 

 

 安麻呂の場合はどうなのかを計算してみます。位階を持っていない人間が「大初位下」の位階を持つためにはあいだに「少初位下」「少初位上」というふたつの位階がありますので、早くても18年かかります。一方、29歳の安麻呂が42歳になるには13年間あります。

 

 

 

 これらのことを考えると713年の29歳のときに無官だった安麻呂は翌年、少初位下の位階をもらい、その後は6年ごとに順調に昇進して726年、42歳のときに大初位下に昇進したことになります。逆算すると彼は遅くとも24歳のときに長屋王邸宅で働きはじめ、それから6年たった714年に位階を手に入れたことになるのです。

 

 

 

 彼の昇進の仕方は当時の位階制度を知る上で非常に重要な手がかりになります。

 

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