遣唐使と外交

8世紀の遣唐使はふつう、外交使節のほか、留学生や留学僧、通訳や技術者など400人から500人あまりの人々が4隻の船に分かれて唐を目指しました。

 

 

井真成が唐へとわたった717年は唐の国力がもっとも充実した時期でした。このとき派遣された留学僧には玄ム留学生には吉備真備と阿倍仲麻呂がいました。

 

 

玄ムと吉備真備は18年後の735年に帰国し、唐での経験をいかして橘諸兄政権の実力者として活躍することになります。玄ムや吉備真備が唐から持ち帰った数多くの書籍が、その後の国づくりをすすめていくうえで大きな役割を果たすことになったのです。

 

 

 

16歳で唐に入った阿倍仲麻呂は唐で学問をおさめ、官人を採用する試験である科挙に合格します。玄宗皇帝にも気に入られ、唐の官人として順調に出世していきました。

 

 

752年に長安を訪れた遣唐使たちと一緒に帰国しようと、翌年に中国を出発しましたが、仲麻呂の乗った船は嵐で難破し、はるかに南方の安南(ベトナム)に漂着してしまいます。結局彼は日本に帰国することができず、唐の官人として一生を終えました。

 

 

 

 

阿倍仲麻呂が日本を目指したのと同じ753年、遣唐使船に乗ったひとりの唐の僧侶がいました。鑑真です。

 

 

唐の高僧である鑑真は日本の留学僧からの招きを受けて本格的な仏教の教えを伝えるために日本にわたることを決意します。742年からはじまった日本にわたる試みは5回も失敗しましたが、それでも鑑真の決意は揺るがず、ついに753年に日本にたどり着いたのです。

 

 

鑑真は朝廷から大和上という称号を与えられるとともに、平城京に唐招提寺をつくり、仏教の教えの普及につとめるなど、その後の日本の仏教界に大きな影響を与えました。

 

 

 

このころ日本の対外関係は唐だけではありませんでした。様々な事情を抱えながら複雑な関係があったのです。

 

 

7世紀後半に朝鮮半島を統一した新羅とのあいだには遣新羅使などの外交使節が行き来していました。8世紀になって遣唐使などによる唐との交流が再開されたのちも、ひきつづき新羅との間で外交使節が交換されます。

 

 

しかし日本はこのとき、唐を「隣国」、新羅を「蛮国」、つまり未開の地というように新羅を日本より一段低い国と位置づけ、新羅に「朝貢」というかたちでの外交を求めました。新羅の外交使節を日本に貢物を持って挨拶に来る使者として扱ったのです。

 

 

日本は中国をまねて、このような態度で接したのですが、このことが日本と新羅との関係を悪化させることになりました。

 

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