遣唐使と遣新羅使

7世紀ごろのさまざまな制度や文物は、海をわたって日本列島は海を渡って日本列島にやってきた人々だけがもたらしたわけではありません。

 

 

日本列島から海をわたった人々が積極的に制度や文物をもちかえったことも重要です。それが遣唐使、遣新羅使といった人々です。

 

 

 

中国への外交使節は7世紀初めに隋に派遣された遣隋使がはじまりです。王朝が唐に変わった後も倭王権は引き続き唐へ外交使節を送り続けました。

 

 

しかし、663年の白村江の戦いでの敗戦後、唐との関係が悪くなり、669年に派遣してから701年までの約30年間、遣唐使は送られませんでした。ちょうど天武・持統天皇の時代がこれにあたります。

 

 

 

この時期、遣唐使にかわり新羅への外交使節、つまり遣新羅使が、海外の制度や文物を学ぶ外交使節として、大きな役割を果たしました。律令国家の建設がまさにはじまろうとするこの時期に、唐よりも朝鮮半島の新羅との関係が深まったことは、日本の律令制度が唐だけでなく、新羅の影響をも強くうけたことを示しています。

 

 

 

そして702年、ふたたび遣唐使が送られます。日本という国名を名乗るのはこのときが初めてです。8世紀を通じて、遣唐使による唐との交流はもっとも安定した時期をむかえたといってもよいでしょう。この時期、多くの留学生や留学僧が唐にわたって、様々な制度や文物を学んでいます。そのなかからのちに政界で活躍するような人物も数多くうまれました。

 

 

この時期にすすめられた日本の国づくりは様々な点で中国の影響を受けています。律令はもちろんですが、平城京も唐の都である長安城をモデルにしてつくられました。和同開珎という貨幣も唐で流通していた開元通宝という銅銭を手本につくられました。

 

 

奈良時代に入ってから打ち出された様々な政策は唐を手本にしたと考えられますが、その橋渡しを担ったのが遣唐使だったのです。

 

 

では遣唐使はどのような道筋で唐にむかったのでしょうか。遣唐使一行は平城京を出ると難波津で船に乗り瀬戸内海を通って北九州に向かいます。

 

 

 

そこからはおもに二つの道筋がありました。ひとつは朝鮮半島にわたり、半島の西海岸を取って唐の都である長安にむかう北路。もうひとつは北九州から長崎県の五島列島を通って、東シナ海を横断する南路です。

 

 

7世紀までは北路がとられていましたが、8世紀になると朝鮮半島の新羅との関係が悪化したため、朝鮮半島を通らない南路がとられるようになっていきました。

 

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