飛鳥時代の人々が納めた税

人々が納める税は、基本的には租・庸・調の3種類でした。租は班田から収穫した稲のうち3%を納めるもので、これはその人が住む地域の財源になりました。

 

 

これに対して、布・米・塩・綿などきめられた生産物を納める庸各地方の特産物を納める調は、いずれも中央政府に納められ、中央政府の財源となりました。

 

 

さらに租は口分田を支給された男女すべてから取り立てるのに対して、庸や調は成人男子からだけ取り立てます。しかも各地から都まで税を運ぶ負担も自分たちで行わなければなりませんでした。都から遠い地域の民衆には大変重い負担となりました。往復に多くの日数がかかり、その間の食事なども自分で用意しなければならなかったのです。

 

 

 

国家は財源となる庸や調を全国から確実に取り立てるために毎年、全国で計帳とよばれる帳簿を作り、その年の成人男子の数を把握しました。

 

 

 

さて、人々の負担はこれだけにとどまりません。税として納める租・庸・調のほかにも様々な負担がありました。

 

 

まず、雑徭とよばれる労働です。これは成人男子が1年間に60日、自分の住む地域で役所を建てたり、道路を直したり、水路を整備したりする公共工事のために働くという負担です。

 

 

そしておそらく人々にとってもっとも重い負担だったと思われるのが、出挙とよばれる稲の強制貸付制度でした。これは国家が春に稲の種もみを人々に貸付け、秋の収穫のときに5割の利息をつけて返させるというもので、男女を問わず、すべての人々がその対象になりました。

 

 

出挙はもともと前の年の秋に収穫した米を食べつくしてしまって、その年につくる稲の種もみをもっていない貧しい人々に対して地方豪族が種もみを貸し付けるという社会政策の一つでした。しかし、次第にそれが地方の財源として注目されるようになり、一種の税として人々に押し付けられるようになったのです。

 

 

こういった税や行政は具体的にどうすすめられたのでしょうか。実は大宝律令が施行されてから、それぞれの役所が大量の公文書を作るようになったことが現在のこっている資料からわかります。奈良県にある東大寺の正倉院には1万点に及ぶ古代の古文書がのこっています。そのなかに役所でつくられた様々な公文書が伝えられています。

 

 

なかでも興味深いのは人々を支配するために作られた戸籍と計帳です。正倉院には大宝律令が施行された翌年につくられた、御野国の戸籍と筑前国の戸籍の一部が残っています。

 

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