地方組織をととのえる-7世紀、国司、郡司、里長、口分田

7世紀の終わりに各地に国がおかれましたが、大宝律令の施行後は国の下に郡が、郡の下に里がおかれ、国には国府、郡には郡家という役所がおかれました。

 

 

国はいまでいう都道府県にあたり、郡はその下の市など、里は町や村にあたると考えられます。また、そこにつとめる官人としてそれぞれ国司、郡司、里長がいました。

 

 

 

国司には中央から派遣された貴族が就任しました。これに対して郡司の多くはその地域を以前から支配していた地方豪族が就任しました。

 

 

中央から派遣される国司はたしかにその国の中で一番高い地位にありましたが、都育ちが多かった国司たちはその地域の実情がわかっていないことが多く、実際に国を治めていくのは難しいことでした。

 

 

そこで国司は以前からその地域を支配していた地方豪族、つまり郡司の力を頼ることになります。そのため、国司よりも郡司のほうがより身近な存在として地方社会の民衆に強い影響力を持ち続けました。

 

 

 

律令国家を運営していくためには運営していくための財源が必要になります。その財源は、人々から税を取り立てることでまかなわなければいけません。そこで税を納める人々の数を把握し、どのような税をどのくらい納めさせるかについての細かいきまりをつくり、そのきまりに従って税を取り立てることになります。

 

 

律令国家のもとでは人々は「公民」とよばれ、6年ごとにつくられる戸籍に登録されます。そしてそれをもとにして6歳以上の男女すべてに口分田とよばれる田が支給されました。国家は人々に土地を与えて耕作させることにより、最低限の生活を保障したのです。これを班田収授法といいます。

 

 

 

口分田はすべての人に平等に与えられたわけではありません。6歳以上の男子には2段(約50m四方)があたえられ、女子にはその3分の2の面積の田が与えられました。

 

 

また、一般の公民は良民とよばれますが、家人や奴婢といった良民以外の身分の低い人々には良民男女のそれぞれ3分の1しか与えられませんでした。これらの口分田はその人が死亡すると国家に返されます。これを収公といいます。

 

 

口分田を与えることを班田といいますが、班田は必要となるたびに行われるものではなく、6年に1回、全国で一斉に行われました。班田が行われる年を班年といいます。この班年のときに6歳になっていれば班田され、口分田を受けた人がすでに死亡していれば収公されるという仕組みになっていたのです。

 

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