天武天皇から持統天皇へ

天武天皇の時代には居力な中央主権国家の建設にむけて、さまざまな政策が打ち出されました。しかし、これらの政策の多くが完成したのは次の持統天皇の時代です。

 

 

天武天皇は草壁皇子を皇太子にたて、次の天皇の候補とします。しかし天武天皇が亡くなったあとしばらくして病弱だった草壁皇子も28歳の若さで亡くなり、草壁皇子の母である皇女が即位して持統天皇となりました。

 

 

即位前年の689年、飛鳥浄御原令が施行され、その翌年には庚寅年籍という全国的な戸籍が作られました。694年には飛鳥浄御原宮から藤原京に都を移し、ここにようやく藤原京が完成します。こうして天武・持統2代の天皇にわたり律令国家建設の基礎ができあがったのです。

 

 

 

その持統天皇は697年に天皇の位を孫の軽皇子にゆずり、文武天皇が即位します。702年に亡くなった持統天皇は天武天皇はと同じ檜隈大内山陵に一緒に葬られますが、このとき天皇として初めて火葬にされたことが「日本書紀」に記されました。

 

 

火葬は仏教の影響を受けて始まったともいわれ、8世紀には火葬が天皇や貴族たちのあいだに広まっていきます。

 

 

「日本書紀」が記す檜隈大内山陵とは奈良県明日香村にある野口王墓山古墳だということがわかっていますが、現在は天皇家の墓である天皇陵として管理されているため、古墳に立ち入ったり発掘調査をすることはできません。

 

 

 

この古墳は、じつは鎌倉時代にいちど盗難の被害にあっています。そのときの被害の様子が古い記録に残っています。それによると横穴式石室のなかに遺体をおさめた棺と火葬した骨をおさめた金銅製の骨壺があったとされています。

 

 

このことから棺におさめられているのが天武天皇、骨壺におさめられているのが持統天皇だと考えることができ、野口王墓山古墳が、天武・持統天皇を一緒に葬った墓であることが確実になりました。葬られた人の名が確実にわかる数少ない古墳として貴重であると同時に持統天皇が火葬されたという「日本書紀」の記録が証明された点でも、貴重な例といえます。

 

 

701年には古代国家にとっての区切りとなることがありました。この年の正月1日、藤原宮では大極殿と呼ばれる建物の前の広場に、官人たちや新羅からきた外交使節、また、東北地方の蝦夷や九州南部の隼人といった中央政権からは異民族とされていた人々がずらりと整列しました。大極殿にあらわれた文武天皇に新年のあいさつをする「元日朝賀の儀」を行うためです。

 

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