天武天皇の時期の国土の整備・国・道・都

官僚制の整備と並んで国土の整備もすすんでいきました。地方社会では、それまで各地の豪族たちが支配している地域を「評」として編成していましたが、天武天皇の時期にはさらにそれらをいくつかにまとめて「国」という行政単位を本格的に整えました。

 

 

これは現在でいうと都道府県にあたります。さらにそれらの国をいくつかまとめて7つの「道」という行政単位をもうけました。この「七道」は同時に、都から地方へと放射状に延びる道路としても整えられるようになります。

 

 

今も残る東海道・山陽道・北陸道などの呼び名は、このときの七道制がその始まりです。また、このとき定められた行政単位としての国はその後、江戸時代末までの1200年近くにわたって日本列島に残りました。

 

 

 

ところで「七道」が文字通り道として整備されたと述べましたが、最近の発掘調査によって古代につくられた官道の跡が各地から見つかっています。

 

 

全国で見つかる古代の官道の跡を見ると、地形を無視してつくられた直線道路であること、そして道路の幅は広いところで12m前後であることが特徴です。これは今の道路でいえば4車線分にあたる広さです。

 

 

こうした道路は7世紀後半から作られ始めたようで、都と地方をむすぶ直線の幹線道路が、かなり大掛かりにそして急速に作られたことがわかります。では、なぜこのような道路が必要だったのでしょうか?

 

 

 

この道路はもともと地方で反乱が起きたり、外国の軍隊が攻めてきたときなどの非常事態が起きたときに都に緊急の連絡をするための手段として作られたものです。そのために最短距離の直線道路が必要だったのです。

 

 

つまり官道はこのころもっとも新しい情報網としての役割を果たしていました。全国の情報をいち早く知るためには都から放射状にのびる直線道路を作ることが何よりも急がれたというわけです。

 

 

また、こうした道路をまわりに住む人々をあつめて大掛かりにつくることじたいが中央政府の権力の大きさを全国に見せつける役割を果たしたのでしょう。

 

 

天武天皇はまた、これまでにない都を計画します。これが藤原京の建設です。藤原京は日本で初めての本格的な都城といわれます。

 

 

それ以前は天皇が住むところは「宮」とよばれ、天皇が変わるたびに新しい宮が作られましたが、その周りにいる人々を計画的に住まわせることはしませんでした。

 

 

これに対して藤原京は天皇が住む宮の周りに東西南北の整然とした道路を碁盤の目のようにめぐらせたのです。こういった都城は平城京・長岡京・平安京へと受け継がれていきます。

 

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