壬申の乱と東国

百済と高句麗が滅んだのをきっかけに唐は朝鮮半島をさらに支配しようとします。

 

 

新羅はこれに反発し、671年に両国が争いはじめました。唐と新羅はともに倭国に協力を求めます。ところがその671年9月、天智大王が病に倒れます。このとき、有力なあとつぎは二人いました。天智大王の弟の大海人皇子、もう一人は天智の息子の大友皇子でした。

 

 

 

次の大王を決めるとき、これまでは血統だけでなく年齢や経験も重視されてきました。その点からすると長く兄の政治を助けてきた大海人皇子のほうが若い大友皇子よりも有利でした。

 

 

しかし、中央の政治体制を整えたときに天智はその頂点である太政大臣に息子の大友皇子をつけました。天智はこれまでのやり方を変えて、父から子へという中国でよく行われるような直系継承にしようとしたのです。

 

 

 

その年の10月、大海人皇子は病床の兄、天智に呼び出されました。日本書紀によると、このとき大海人皇子は兄が大友皇子を大王にしようとしていることに気が付きます。

 

 

身の危険を感じた大海人皇子はその場で兄に出家を願い出ると、わずかな従者とのちに持統天皇となる妻や息子たちをつれて宮のあった近江から吉野へむかったのです。その2か月後、天智は46歳で亡くなりました。

 

 

年があけた672年、干支でいうと壬申の年、近江の大友皇子と吉野の大海人皇子は互いにあいての様子をうかがっていました。

 

 

5月、近江軍が大海人皇子を討とうとしているという知らせが伝わると、6月には大海人皇子も兵を集めるため家族らを連れて東海地方へと向かいます。これを知った大友皇子も各地に使者を送って兵を集めようとします。こうして壬申の乱がはじまりました。

 

 

 

この乱は大海人皇子が吉野を出て1か月後に大友軍を打ち破り、大友皇子が自害して終わります。しかし一見不利な立場のように見えていた大海人皇子が勝った理由は何だったのでしょうか?

 

 

その最大の要因は王権を軍事や経済の面で支えていた東国を大海人皇子が味方にできたことにありました。

 

 

東国は古墳時代以来、王権にしたがう態度を西日本よりもはっきりと示してきました。東国は中国大陸や朝鮮半島から遠く離れているぶん、渡来の文物や技術を手に入れるのが西日本よりも難しかったので、近畿の王族や豪族に頼る必要があったのです。そのため王権との関係を重視していたのです。

 

 

大海人皇子はその東国を真っ先に押さえることで大友皇子よりも有利な状況を作り上げたのです。

 

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