百済滅亡と亡命百済人

乙巳の変のあとも東アジアでは高句麗と百済、唐と新羅がそれぞれ手をむすび、両者がにらみ合っていました。これに対し、倭国は唐や新羅との関係も強めようとします。しかし唐や新羅からは百済寄りと見られて警戒されました。

 

 

660年、新羅にたのまれた唐は百済に13万人の大軍を出します。そして5万人の新羅軍とともに一気に百済を攻め滅ぼします。ところが百済の義慈王が降伏してからも百済の兵士たちの一部は抵抗を続けました。

 

 

彼らは義慈王の息子で倭国にいた余豊璋を百済王にむかえて、百済を復興させようとします。豊璋は百済と倭の王権のむすびつきをつよめようと、20年近く前に義慈王が倭に送った王子でした。

 

 

 

このとき、倭国の大王は斉明でした。いちど大王の位をおりた皇極が、孝徳大王の死後、斉明として再び即位したのです。

 

 

斉明はすぐに百済を助けるための軍事支援を決めます。661年、斉明は各地の豪族に軍隊を出すよう命じると中大兄皇子やその弟の大海人皇子ら息子たちを引き連れ、朝鮮半島に近いところで指揮をとるために九州に入ります。

 

 

ところが斉明はその直後に急死してしまいます。この緊急事態に中大兄皇子が即位の儀式をしないまま大王の役目をはたすことになります。中大兄皇子は豊璋に最高の冠位を与え、5000人の兵をつけて百済の抵抗軍のもとに送りました。

 

 

 

しかし倭軍と百済の抵抗軍は663年8月、白村江で唐と新羅の軍隊に大敗し、豊璋も高句麗に逃れて勝敗は決まりました。その後、唐と新羅は高句麗を攻め、668年とうとう高句麗も滅びます。

 

 

白村江で敗れると百済人や倭人兵などが一気に西日本に逃げてきました。唐や新羅がいつ攻めてくるかわからないため、倭の王権は急いで備えました。

 

 

翌664年の2月、中大兄皇子はさっそく甲子宣とよばれる改革を行いました。それは王権の氏に対する支配を強めるとともに冠位の数を増やすことでさらに多くの中央豪族を役人にして大王の命令に従わせようとするものでした。

 

 

 

667年3月、中大兄皇子は都を飛鳥から琵琶湖南西部の近江大津宮に移し、翌年、正式に天智大王として即位します。

 

 

そして670年、日本ではじめてとなる全国規模の戸籍をつくりはじめました。庚午年籍です。庚午年籍の詳しい内容はわかりませんが、各地に住む人々の名や親子・兄弟などの関係が記録されていたようです。それは豪族に頼ることなく王権が直接兵士を集めることができるようにするためだったのでしょう。

 

関連ページ

邪馬台国の時代
倭王卑弥呼の登場
卑弥呼と関わる魏の戦略 宝物や倭王としての権威を高める働きかけ
魏志倭人伝における倭人の世界
畿内を代表する纏向遺跡
卑弥呼の時代の九州北部の中心的な遺跡
卑弥呼の時代の大型前方後円墳の登場
古墳時代初期の前方後円墳
弥生時代の各地に広がる古墳づくり
「魏志」倭人伝で伝わる、弥生時代の緊迫する東アジア情勢 
4世紀初めに途絶えた中国とのやりとり
広開土王の碑文とは
巨大古墳と渡来時代
弥生時代に渡来する人・モノ・文化 
渡来系氏族の登場
稲荷山古墳と江田船山古墳からわかる大王と豪族
百済は475年に高句麗に攻められて力が衰えた付近の古墳文化の変容と広がり
継体天皇と百済
磐井の乱と伽耶滅亡
大阪府高槻市の今城塚古墳 6世紀頃の新しい古墳の姿
弥生-古墳-飛鳥時代に向けての世襲される王の権力
6世紀中ごろ以降の地方の生産工房
群集墳の登場
仏教伝来
飛鳥寺への道
飛鳥文化のはじまり
厩戸王子と蘇我馬子
遣隋使と冠位十二階
隋の煬帝と留学生
唐と新羅
吉備池廃寺と蘇我氏の横暴
乙巳の変と大化の改新
難波宮と孝徳大王
朝鮮への備えと古代人の姓
壬申の乱と東国
倭国の歴史と日本書紀
天武天皇と官僚体制
天武天皇の時期の国土の整備・国・道・都
天武天皇から持統天皇へ
日本国と国の組織づくり
地方組織をととのえる-7世紀、国司、郡司、里長、口分田
飛鳥時代の人々が納めた税
飛鳥時代の公文書と木簡
平城京の建設と和同開珎の発行
飛鳥時代に流入する東アジアの制度と文化
遣唐使と遣新羅使
遣唐使と外交
国際色ゆたかな天平文化
蝦夷と隼人
平城京の姿
出雲臣安麻呂の昇進 
他田日奉部神護の就職願い
正倉院に伝わる古文書-写経所
平城京の左京と右京の賑わい
「日本霊異記」 遠距離交易をする人々
郡司の権威と郡家
郡符木簡
「万葉集」にうたわれた生活のための様々な労働
風土記からみる土地の神へのおそれ
墾田永年私財法
天平の幕開け
戦乱と聖武天皇
国分寺建立と大仏造立
行基と国家仏教-平城京に都が置かれていたころ
藤原仲麻呂の台頭
東北政策と新羅侵攻計画
藤原仲麻呂の失脚と道鏡の登場
天武天皇系から天智天皇系へ
長岡京廃止の謎
地方豪族による支配が新しい勢力にとって変わられ始めた
桓武天皇の蝦夷政策
平安京遷都と桓武天皇
桓武天皇の息子たち
承和の変と最澄