難波宮と孝徳大王

652年、孝徳大王は新しくおかれた難波長柄豊碕宮に移ります。

 

 

その宮は大阪市内の中心部、大阪城の南のあたりです。この付近は、5世紀には大倉庫群がたちならび、8世紀の聖武天皇のころにも宮になり、16世紀には豊臣秀吉が大坂城をつくるなど時代を超えて重要な施設がおかれました。

 

 

近くには川に面して港があり、川を下れば大阪湾から海外へとつながる便利な場所です。

 

 

 

難波長柄豊碕宮は発掘調査によって、それ以前の宮とくらべて規模が非常に大きく、新しい形の宮であることがあきらかになりました。

 

 

政治や儀式をおこなう朝堂院とよばれる区画がつくられ、その内部には、朝堂という建物が左と右に対称に並んでいます。しかも宮の建物や配置は中国の唐で決められた長さの単位をもちいてきっちりと設計されていました。改新にふさわしい積極的な事業に取り組んでいたことが分かります。

 

 

 

ただし、孝徳のあとの斉明大王のときに王宮は難波から飛鳥に戻ります。そこではまた古い様式に戻っていました。斉明の次の天智大王がきずいた滋賀県大津市の大津宮も母の斉明がつくりあげた飛鳥宮を手本にしています。

 

 

新しい取り組みは続かなかったのです。この新しい朝堂院の形は7世紀末の藤原宮で再登場し、平城宮に受け継がれます

 

 

孝徳が大王になったころの地方はミヤケの経営や部の支配を認められた豪族たちが、各地域をばらばらに支配していました。

 

 

大王を中心とした政治を目指す孝徳王権は、こうした支配の仕方をあらためようとします。そこで乙巳の変のすぐあとに日本列島内の国々に使者を送って豪族が支配していた各地の人々や土地について調査を始めました。

 

 

 

648年8月、王権はこの調査をもとに部をなくし、彼らを「国家の民」と呼んで直接支配することを宣言しました。ところが豪族たちはその方針にかなりとまどったようです。

 

 

それでも649年になると各地に評をおいて王権の地方支配をさらにすすめます。評は現在の市町村にあたるような地方行政組織で、国造が支配していた土地をいくつかにわけたり、新たにまとめたりして設けられました。ミヤケも部もしだいに評の支配に取り込まれ、地域の人々は評を単位に支配されるようになっていきました。

 

 

7世紀中ごろになるとたくさんの仏教寺院も建てられます。7世紀前半までの寺院は近畿地方に限られていましたが舒明大王や孝徳大王によって国家的に仏教の信仰がすすめられた影響で日本各地に寺院が建てられるようになっていきました。

 

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