吉備池廃寺と蘇我氏の横暴

吉備池廃寺は1997年からの発掘により、大規模な寺院であることが明らかになりました。

 

 

その塔は九重であったといわれ、地面に残っていた跡からみると高さは70mに近く、20階建てのビルぐらいだったようです。奈良県斑鳩町にある法隆寺の塔の2倍もの高さで、日本に残る塔のなかで一番高い京都市の東寺五重塔の55mを上回っていたことになります。

 

 

百済大寺は大王家が中心となってはじめて建てた仏教寺院です。寺の規模にもその意気込みが感じられます。

 

 

 

また、この時期の東アジアでは百済や新羅でも巨大な九重塔を建てて、国の力を見せつけていました。吉備池廃寺の高い塔も、国の内外にむけて誇らしげに示すという意味があったのでしょう。

 

 

吉備池廃寺の伽藍は、金堂と塔が東西に横に並んでいます。法隆寺西院伽藍と同じ形ですが、東アジアには例のないものです。

 

 

吉備池廃寺で用いられた屋根の瓦の模様も、百済や飛鳥寺のものなどとちがって独特のものです。蘇我氏とのかかわりの深い寺院とは、あえて違った形を作り出したようです。

 

 

 

明大王をほうむった古墳も、それまでの方墳とは異なり、倭国に独自の八角形です。こののちは舒明の血をひく大王が続きますが、8世紀初めの文武天皇まで八角形の古墳をつくっていきます。

 

 

寺や古墳は権威を見せつける役割もあったため、大王をめぐる政治の状況が大きく反映しているのです。

 

 

 

630年、倭は朝鮮各国に大きくおくれて、はじめて唐に使節を送ります。その使節団の代表のひとりとなった薬師恵日には、以前、遣隋使に従って中国に留学した経験がありました。

 

 

7年前の623年、留学生や留学僧数人と新羅経由で帰国した恵日は唐とつねに交流を持つように大王に意見します。恵日たちは隋から唐へと変わるのをすぐそばで見ていて、唐の勢いを感じていました。

 

 

641年に舒明が亡くなり、翌642年に舒明の后であった皇極が即位しました。この直後、唐に対抗するために強引な手段で権力を集中させようとする高句麗と百済の動きが倭国に伝わり、驚かせます。

 

 

 

なかでも大臣の蘇我蝦夷は、この情報に強い刺激を受けます。自分が死んだら蘇我氏の氏長の地位や大臣の位をめぐる争いが激しくなると心配したのです。

 

 

そこで蝦夷は自分に影響力があるうちに息子の入鹿を後継者にしようとします。643年には大王の許しを得ないで入鹿に大臣の冠を授けました。さらに王位継承問題で対立する山背大兄王を襲い、殺してしまいます

 

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