唐と新羅

610年代に入ると隋は大土木工事や高句麗遠征の影響で急速に衰えます。そして618年に煬帝が反乱軍によって殺され、隋は滅んでしまいました。隋にかわって中華王朝を引き継ぎ、隋以上の強国になったのが唐です。

 

 

国内支配を安定させた唐は630年代に入ると周辺各国を支配しようと動き始めます。それに対して高句麗では642年に唐に武力で対抗しようとする大臣の泉蓋蘇文が政変を起こしました。彼は国王を殺害し、その甥を国王につけて、唐が攻めてきても素早く対応できるよう権力を独占する独裁政権を打ち立てます。

 

 

同じ年、百済では前年に即位したばかりの義慈王が新羅の西部を攻め、新羅と唐との交流に使われていた海上航路を遮ろうとします。そして、高句麗の新政権と結び、唐と対抗する道を選びました。義慈王も、対立する者を追い出しながら自分に権力を集中させていきます。

 

 

 

孤立した新羅は唐に救いを求めます。しかし唐は新羅に難しい要求を突き付けます。

 

 

そのころ新羅の国王は女性でした。ところが唐は国王は男性であるべきだとして、女王を辞めさせて唐の王族から男性の王を迎えるように迫ったのです。これに応じれば新羅は唐に完全に支配されてしまいます。

 

 

この要求がきっかけとなって新羅では647年に争いが起こりました。この争いを治めたのが王族の金春秋たちでした。春秋たちは唐と友好関係を続けて唐の制度を積極的に取り入れる一方で、王のもとに権力を集中させて自立した国家運営を目指しました。

 

 

このように周辺各国への支配を強めようとする唐の影響で朝鮮半島では次々に争うが起こりました。そして640年代には各国とも独裁政権を打ち立てていきました。

 

 

 

いっぽう倭では30年以上も大王の位にあった推古が628年に亡くなります。すでにこのとき厩戸王子や蘇我馬子も死んでいました。

 

 

政界では厩戸の子の山背大兄王と敏達大王の孫の田村王子のどちらを大王にするかで意見が分かれました。最後は馬子の息子の蘇我蝦夷が強引に政界の意見を田村王子でまとめ、629年に田村王子が舒明大王になりました

 

 

舒明は、はじめは蘇我氏の本拠地である飛鳥に王宮を置きます。しかし、しばらくすると飛鳥から離れて奈良県桜井市の百済宮を正式な宮にします。

 

 

 

そして舒明は百済宮の東に百済大寺という寺院を作り始めます。長い間、百済大寺の場所はわかっていませんでしたが、現在では奈良県桜井市の吉備池廃寺が百済大寺だったという説が有力になっています。

 

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