隋の煬帝と留学生

煬帝は隋の2代皇帝で隋の最期の皇帝です。父の文帝のあとをつぎ、604年に即位しました。大運河の整備や高句麗との戦いを積極的にすすめましたが、それらによる大量の予算が国力を弱め、国内の反発をまねき、618年に反乱軍により殺されました。

 

 

倭国の使者はこの煬帝にあい、仏教に基づく考え方を受け入れ、留学生を送って隋とのあいだに本格的な仏教外交をはじめようとしたのです。ところが小野妹子が持って行った倭の国書には次のように記されていました。

 

 

「日出づる処の天子が、書を日没する処の天子に送ります。お元気ですか」

 

 

これを見た煬帝は倭国の王が皇帝と同じ天子と名乗ったことに激しく怒ります。隋にとって天子は中華皇帝しか名乗ることのできない称号だったからです。

 

 

倭国は隋中心の仏教外交に加わると言いながら、大王を中心とした自分たちの世界を持ち続ける姿勢を見せたのです。

 

 

 

しかし倭国はそのころ、隋と対立する高句麗とも関係を持つようになっていました。そこで隋は倭国の実情を探るために帰国する小野妹子と一緒に裴世清という役人を倭国へ送り込みます。

 

 

「隋書」によれば、倭王は裴世清に対し、隋を「礼儀の国」と呼び、倭国はその下位にある野蛮人の国と認めたといいます。しかし朝鮮各国とちがって冊封は受けませんでした

 

 

隋から与えられる称号が朝鮮各国の称号よりも低いものだったら困るからです。また冊封によって、大王を中心とした支配体制が崩れることも恐れたのでしょう。

 

 

 

隋は高句麗と通じる倭国を隋中心の国際秩序に組み入れることを優先して、この倭国の姿勢を受け入れます。こうして倭国は隋中心の国際秩序に参加し、隋を敬う態度をとりながらも朝鮮各国より不利な立場におかれることは逃れたのです。

 

 

そして倭王権は隋との交流から政治に役立つものを新たに手に入れることになりました。そのときに大きな役割を果たしたのが遣隋使とともに中国にわたった留学生たちです。

 

 

それまでの倭国では、朝鮮半島や中国大陸の技能や知識はそれを運んできた渡来人から、その子孫に伝えられることになっていました。このため、はじめは新しかった技能も世代が下るにつれてだんだん古くなります。

 

 

 

それに対し、寺でおこなわれる師弟関係による学習は技能を伝えるのにとても役立つ方法でした。有能な学生たちは出身氏族に関係なく様々な師につき、いくつかの技能を組み合わせて新しい技能を身に着けていきます。そしてその学生たちが師となって新たな技能者を育てていったのです。

 

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