遣隋使と冠位十二階

推古大王の政権は西暦600年、中国の隋に使いを送りました。これは、武王以来、約120年ぶりのことです。

 

 

隋は300年近くも南北に別れて争っていた中国王朝を589年に一つにまとめると、周辺国々に、強い態度で臨んでいました。このため、高句麗は隋と繰り返し衝突するようになりました。また百済は隋の冊封をうけて、新羅の支配する旧伽耶地域を奪おうとします。

 

 

新羅も、百済に対抗して隋の冊封を受けました。隋との関係をきっかけにした東アジアの動きを見て推古王権も隋のことを無視できなくなったのです。

 

 

 

隋もまた、仏教を熱心に保護しながら、隋中心の中華的な世界秩序をつくろうとしていました。それに対し、仏教の受け入れをきめた倭国は、外国とつきあうのに仏教が必要なことはわかりながらも、大王を中心とした自分たちの世界は守りたいと考えていました。

 

 

しかし隋についた倭国の使いは、隋の皇帝である文帝から政治のやり方を改めるよう強く指摘されます。倭国は、自分たちが国際社会の動きや考え方に完全に乗り遅れたことを思い知らされました。そのため、遣隋使の帰国後、倭国の政治改革が一気にすすみます。

 

 

 

603年、推古王権は飛鳥に新しくつくった小墾田宮に大王宮を移すとともに、冠位十二階の制を始めます。これは朝鮮各国の制度を参考に、役人を12等級の位に分けそれぞれの位に応じて異なる色の冠を着用することを定めたものです。

 

 

冠位は大王から個人に与えられ、各人の努力で昇進することもできました。出身氏族によって地位が決まっていたこれまでとは大きな変化です。

 

 

推古王権は位の上下によって役人を組織し、それにもとづき宮殿で整然と政治や儀礼をおこなう、東アジア共通のやり方を取り入れたのです。ただし冠位は蘇我馬子の一族には授けられませんでした。蘇我氏は王族とともに十二階の位を超える特別な存在とされたのです。

 

 

 

また、604年には、新体制にふさわしい心構えを役人に教え諭す十七条の憲法が作られました。ここにも仏教の考え方が取り入れられています。

 

 

こうした政治改革をふまえ、607年、倭国は小野妹子を大使として百済を通じて、ふたたび隋へ使節を送ります。中国の正史「隋書」によると隋についた小野妹子は「海西の菩薩天子が重ねて仏教を興したと聞いています。

 

 

隋の朝廷を拝礼するとともに修行僧をつれて仏教を学ばせたい」と告げたようです。ここでいう海西の菩薩天子とは隋の2代皇帝の煬帝のことです。

 

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