厩戸王子と蘇我馬子

飛鳥寺が建てられていたころ、古墳にも変化がうまれます。欽明大王や敏達大王の墓は前方後円墳でしたが、敏達につづく用明・崇峻・推古の各大王の古墳はいずれも四角形の方墳へと変化しました。

 

 

この用明以後の3代の大王はいずれも父は欽明で母は蘇我氏の娘です。いっぽう、推古につづく舒明大王は蘇我氏の血をひかず、八角形の古墳を作っています。大王の血統の違いが古墳の形にも反映しているのです。

 

 

 

前方後円墳は倭国独自のものでしたが、方墳は東アジアの各地にあります。

 

 

また、東アジア各国でさかんに建てられた仏教寺院も、倭国は取り入れました。推古大王の時代からは遣隋使なども派遣されるようになります。

 

 

新しい国づくりの中で倭独自の古い文化から抜け出し、海外の様々な文化を取り入れようという方針があったことがわかります。そうした方針は全国にひろまり、日本列島の各地で前方後円墳が作られなくなり、かわって寺院の建立がはじまります。

 

 

 

この時期には新たな開発事業もすすんでいます。大阪府大阪狭山市の狭山池は推古大王の時代に作られた日本最古の人工池であることがあきらかになっています。

 

 

その技術は朝鮮半島からもたらされたようです。そのほかに、各地の丘陵では須恵器が焼かれるようになっています。

 

 

日本書紀は推古大王が即位した数か月後、欽明大王の孫の厩戸王子が皇太子にたてられ、彼に政治が任されたと記しています。厩戸王子は聖徳太子とも呼ばれています

 

 

 

しかし、厩戸王子に「聖徳」の名がつけられたのは彼の死後、半世紀以上もたってからです。また「太子」は次の天皇になる皇太子のことを指しますが、このころはまだ「天皇」という呼び方はなく、皇太子を先に決めておく制度もなかったとする説が有力です。

 

 

「日本書紀」をはじめとする記録は、そのころの政治のあらゆることを聖徳太子が行ったとしています。しかし、そうした記録はどれも、のちの時代の人たちが理想の皇太子として聖徳太子を描こうとしたもので、本当の姿とは違っています。

 

 

厩戸王子が次の大王も狙える有力王子だったことは間違いないようですが、実際にどのような政治を行ったのかを知る手がかりはほとんど残っていません。

 

 

 

日本書紀は推古大王が厩戸王子と蘇我馬子に命じて仏教をさかんにする政策をすすめたとも書いています。厩戸王子の妻は蘇我馬子の娘です。おそらくこの時代は大王のもとで大臣の蘇我馬子と厩戸王子が協力する体制だったのでしょう。

 

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